検査・告知・手術・仕事復帰・・・誰かのお役に立てればと綴ります。
私の母は12年前に乳がんと診断されました。今もありがたいことに健在です。
その手術の前から私は良性の疾患だ、ということで年に一回乳腺外科に通っていました。
そのたびに細胞診と呼ばれる針で麻酔なしで組織を抜かれておりました。怪しいけど大丈夫じゃない??15年続けておりました。
12年乳がんサバイバーの母曰く、私が乳腺外科に通っていたから関心をもって自分で見つけた、、んだそうです。
そんなこんなで母も乳がんだし、乳腺外科に通っていたので、胸・ブレストケアには非常に関心があり、早くからピンクリボン運動(乳がんの早期発見を促す運動)に協力していました。乳がん患者さんにもお会いして、ドキュメンタリー番組も作りましたし、イベントも毎年のようにやっていました。みなさん検診にいってね、自分で命を救ってねと呼びかけていました。
そんな私がまさかの乳がん、です。ショックでした。
令和になった5月の末、会社の健康診断でひさしぶりに乳房のエコー検査を受けました。結果を診察室で聞いたら、『4年前のものとしか、このセンターでは比べられないけど必ず今年は再検査受けてくださいね、糖尿病とかあります??とにかく、左がまずい。』でした。ああ、これはいよいよ来ちゃったんだなと。受け止められない不安感が・・・。3年前にPET検査を自費で一度受けた時、左に怪しい姿があったけど、そのときの精密検査では確定されず、経過観察、見つからなかったのです。。。で安心してたのに。。
翌週、6月に入り、速攻、乳腺クリニックへ。先生はもう少し早く来れなかったですかね、と。でも一年に一回なんですもの。少しずれることもありますよね?(みなさんは気を付けて!)
先生的には、左はほぼほぼ、右も怪しい、と。まず2週間先の検査予約。左は麻酔かけて組織診断、右は麻酔ナシで細胞診にしよう、となりました。結果出るまでの2週間。私も寝られないけど、オットも寝られません。二人で起きては顔を見合わせる感じ。
患者だけではなく、家族も巻き込む"がん"なのです。
『ああ、どうしよう、この先。。。』不安だけが募ります。ここで精神を保てたのはこれまで出会った母を含めた乳がん患者さんの生きざま。これではいけない!私、ちゃんとみんなの姿見てきたじゃん、と気持ちを強くしたのでした。
がんとともに、、、。
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決して1人ではありません。