検査・告知・手術・仕事復帰・これからのこと・・誰かのお役に立てればと綴ります。
つながりも増えました!ご縁に感謝です。みなさんにとても体調を気にしていただいています。この場をかりてありがとうございます。ほんとに大丈夫。元気です。無理もしてません。腕もしびれがありますが、モノもだいぶ持てるようになりました。ただ、朝起きられない、笑。
都合のいいところを副作用だと思って気にしないようにしてます。あとは寒いのと暑いのが交互にやってくることでしょうか。脱いだり、着たりが頻繁。
私はホルモン治療の方がよく効くタイプ、と判断されたので飲み薬と注射を使用していますが、副作用が強すぎると治療が続けられない方もいるそうです。無治療は今の段階では不安が大きいので、できるだけ長く飲み続けたいなと思っています。
医師には免疫落ちてるので、新型コロナウイルスには気を付けてと言われています。私も持病モチ、、になるようでして、体調管理には一層気を付けようと思っています。抗がん剤治療が続いている友人たちもいます。早く収束することを祈っています。
今回は、どうやってがんと伝えるかという話をしたいと思います。
私は夫→親しい友人→会社→手術→退院→家族 という順番でした。実は家族が一番最後です。
怒られました。そりゃそうです。もっと早く言える心境にあればよかったのでしょうが、母親も乳がんだったこともあり、驚かれて傷つくのではないかと。。
検査は続くけど、先が見えるわけではない。普通に働いてましたけど、なんかそわそわ自分がしている気がする・・・。ちゃんと自分で伝えられる気持ちになれるのか・・・・。
誰にどの順番でどう伝えるか。非常に悩みました。
私は検診のその現場で、ほぼ確実!のような診断をされてしまったので実は一番ショックだったピークがここ、です。
どよーんとしました。帰る車の中の重いこと重いこと。そのまま午後仕事だったのでどうしていいんだかわかりませんでした。この時点では、なぜか冷静で泣いてないので、涙も出ない、何かよくわからない感情が渦巻いていた、ということだけ。(ホントに泣いてないのです。その感情通り越してやっぱり感が大きかった。)
家に帰ったあとに、"検診結果、ヤバイらしい。ほぼほぼ、再検査待たずして確定"と伝えましたが夫も冷静でした。結果でるまでわかんないじゃん、と。でも眠れていない日々が続いていたので心労はあったかと。
なにげなく、"死"という言葉がつかえない、、、そんな家での会話でも空気が変わります。
母親とは離れて暮らしていますので、今は便利なSNSなんかでピロっと流しちゃおうかと思いましたが、できるわけもなく、手術前に実家に帰っても言える空気でなく、手術を迎えてしまったのでした。(皆様はどうぞくれずれも私のようなことはなきよう、ご家族にお伝えください。)
結局、退院して、治療方針が出るまで言えませんでした。治療方針の出るまでのあの苦しい時間は母には2度目も合わせたくなったのが私の気持ち。
でも結果は杞憂でした。母はそんなに弱くはなく、きっちりとピア(経験者)母となり、アドバイスをくれています。
誰にどう頼ってどう手伝ってもらうか。本当に人は一人では生きられません。家族・友人・会社・・・あらゆる角度からのココロと様々なサポートがあって、今があります。
私の体験したことが誰かのお役に立てるかもしれない、とドキュメンタリー番組を制作することになりました。(時間差の全国放送)
テレメンタリー2020 おっぱい2つとってみた ~46歳両側乳がん~
北海道では4月4日(土)午前11時10分~放送(予定)です。
https://www.htb.co.jp/telemen/pinkribbon/
全国の時間はこちらでお確かめください。
https://www.tv-asahi.co.jp/telementary/
がんとともに、、、。
番組、SODANEへのご感想、ご意見お聞かせください。
番組制作、今後のイベント、SODANEなどで活用させていただきます。
がんとともに生きる方、ご家族を持つ方、そうでなくても、もちろん、どんなことでも、構いません。
決して1人ではありません。