転んでもただでは起きない

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 3年前の6月、左鎖骨を折りました。人生初の骨折です。やっちゃった直後はかなり痛かったけど、肩関節は動かせたしなんとか服も脱げて、でもレントゲンでみたら思い切り鎖骨が折れてずれていました。びっくりしました。
 これが骨を折るってことなのかと。骨折の具体的イメージ、我が身をもって思い知り、思い描くことが出来るようになりました。ある意味貴重な経験でした(今だから言える)。

 折れた場所は「鎖骨遠位端」といって鎖骨の外側、かなり肩関節に近い場所です。固定しにくくずれやすい部位になります。調べてみるとここの骨折は手術が第一選択です。外から固定しにくいから。
 でも「一週間とか仕事休んで入院出来るの?」という主治医の配慮(?)で保存療法、体の外からのバンド固定でくっつくのを待つことになりました。折れて取れた側(肩関節側)の骨片がかなり小さくて、手術固定が難しいというのもあったようです。

 折れたのは固定しづらくくっつきにくい場所、しかも自分はもう45歳。骨は若いうち(20歳くらいまで)はくっつきやすいけれども齢をとると俄然くっつきにくくなり、くっつくとしても時間がかかるようになります。バンド固定だけで本当にくっつくのか正直不安でした。ダメなら手術とのこと、なら最初からやってもいいのかなんて考えてしまいます。

 かなりの長期間、肩回りを全く動かすことが出来ませんでした。鎖骨に力が加わる筋肉の収縮、体の動きは極力避ける。これが大変なんです。どこを動かしても少なからず肩周りに力が入る。だって腕だけじゃなくて背中、肩甲骨が動いてもだめなんです。連動しますから。
 風呂と着替え以外はほぼ常時バンド固定、しかも季節は夏。車の運転が出来ませんから通勤も市電→地下鉄→JRと二回乗り継いで片道一時間以上、他の乗客との衝突を避けながら、毎日汗だくで通っていました。

 ひたすら真面目に固定して安静を守っていたので、幸いにして骨は無事くっつきました。しかしその代わりに左肩関節の拘縮(固まること)と肩回りの筋肉の萎縮・短縮が相当ひどいことになりました。関節が固まっちゃってまるで動かないのです。筋肉はペラペラです。
 骨折部の固定や運動制限が多少緩くなる頃からリハビリが始まりました。通っていた病院のリハビリ室で一回40分、週に2回ほど。最初は腕をぶらぶらさせて肩関節の可動域をほんの少しずつ拡げるところから、徐々にやることがパワーアップしていきます。固まった関節を動かすのは実に痛いし(自分の意志ではなく他人にぐりぐり動かされる様子を想像下さい)、筋トレはとても軽いウェイトでも痩せ細った筋肉に辛い。ネットで調べて読んでいた通り、とても過酷なリハビリでした。これを半年近く続けました。

 リハビリは基本左肩と周囲の運動なのですが、ものによっては左右とも肩を動かすことになります。
 実は私学生時代に部活(テニス部でした)で右肩を壊し、右肩の可動域制限が結構強く残っていたんです。バンザイ出来ないレベル。ただまあ肩の症状で整形外科を受診したこともなかったし、単に放置していただけなのですけど。それが左肩の骨折後リハビリを行うことになったがために、20数年の時を経て右肩も動かすことになりました。

 その結果どうなったか。まず骨折した側の左肩。可動域はほぼ回復。肩関節を後ろに回す運動を熱心にやった成果で、骨折以前は届かなかった「右腕上から・左腕下から」背中に回して、両手を指先で引っ掛けて引っ張ることが出来るようになりました!気付いたのは先々月くらいにたまたまなんですが、正直かなり嬉しかったです。
 次に右肩。ラジオ体操の深呼吸動作も出来ないくらいに上がらなかった右肩が、今やほぼ普通に上がるようになりました。おそらくテニスのサーブもうてると思います。迂闊にやるとまた故障しそうなんで当面うたないけど。「右腕下から・左腕上から」背中に回すのは、残念ながらまだタオルで補助してからでないと指先引っ掛からないですね。今後に期待です。まだストレッチは続けてますから。

 得られた教訓は、機会がなくてやらなかったこともきっかけを得てやってみれば案外出来るようになること、です。なんでもやってみたらいいんですよね。
 もっと手前の個別的なこととしては、リハビリって素晴らしい!おかげさまで患者さんにリハビリを勧める際にもかなり実感込めてお勧め出来るようになりました。私個人的には理学療法士さんマジリスペクトです。
 
色々得ました。転んでもただでは起きません。

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この記事を書いたのは

小野江 和之

医師、医学博士。札幌南高校卒、北大医学部卒。1971年生まれ。 医療法人社団 緑稜会 みどりクリニック医師。 2004年愛知県の某大学病院へ赴任。医療を取り巻く情勢の変化や様々な体験から一念発起、2007年北大ロースクールへ進学。子連れ学生であったため、修習期間中の資金確保目的で2009年休学して外務省へ入省、中米ホンジュラスへ赴任。2011年帰国を果たすもロースクールを自主退学、2020年6月より現職場。道外からみた北海道、業界外からみた医療業界、海外からみた日本。視点の多様性がいかに重要であるかひしひしと感じます。弁護士さん方とともに、医療と法律にまたがる各種問題解決についても携わっています。

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