小野江医師のコラム【〇〇派】

 巷には「〇〇派」と呼ばれる人たちがいます。「〇〇」がいい、「〇〇」はステキだ、およそ「〇〇」と付く商品は素晴らしくてそうじゃないものはダメ、という感じ。流行というか信者というか、そういう空気を醸し出します。

筆者註:具体的イメージが湧きやすいのは「自然派」だと思います、以下「〇〇」に「自然」と当てはめて読んでいただけるとすんなり落ちるかと思います。筆者は具体的には新型コロナウィルス感染症を含む感染対策、反ワクチンの動きにおいて困惑することがあります。

 世の中にそんなにわかりやすく常に正しい「〇〇」があれば苦労はしないのですが、実際にはそんなことはありません。良くない「〇〇」は当然そこら中にあるし、逆に良い「〇〇じゃないもの」だって沢山あります。
 そもそも「〇〇かどうか」で物事を測るのが間違いってことです。それぞれのモノやコトについて、「それ」が良いものなのかどうかをいちいち自分の頭で考える必要があります。それをせずに「〇〇かどうか」だけで簡単に結論を出そうとするのは思考停止、ただの怠慢です。
 まあ、自分で考えられない人や自分は難しいことを考えられないと勝手に思い込んでいる人、面倒だから他人の意見に乗っかっちゃえというような人達が、「誰か」が喧伝する耳ざわりのいい言葉、たとえば「〇〇」に乗っかっている(あるいは巻き取られている)ということなのでしょう。自分で「〇〇」を選んでいるつもりでしょうが、実はその後の自分の思考機会を自ら放棄していることに気付いていない場合が多い。
 自分自身が積極的能動的に選んでそうしているという錯覚を与えて操作する、洗脳的手法ともいえます。
 そして「誰か」が出した結論にぶら下がるから、コレ系の人はみんなこの問題には肯定的でこれには否定的、なんてパターンがあらわれて、なぜかあまり関係性のない物事についてまで意見が奇妙に一致してしまうのだと思います。
 そういう人々、自分たちは意識が高くて素晴らしい意見に同調しているつもりかもしれませんが、実は怠慢なだけ。
 そんな簡単に答えがわかってたまるか、みんなもっと一所懸命考えろ、一度答えが出たから終わりじゃなくて、その問題が解決するまで考え続けたらいいのにと思います。
 偉そうでスミマセン。

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この記事を書いたのは

小野江 和之

医師、医学博士。札幌南高校卒、北大医学部卒。1971年生まれ。 医療法人社団 緑稜会 みどりクリニック医師。 2004年愛知県の某大学病院へ赴任。医療を取り巻く情勢の変化や様々な体験から一念発起、2007年北大ロースクールへ進学。子連れ学生であったため、修習期間中の資金確保目的で2009年休学して外務省へ入省、中米ホンジュラスへ赴任。2011年帰国を果たすもロースクールを自主退学、2020年6月より現職場。道外からみた北海道、業界外からみた医療業界、海外からみた日本。視点の多様性がいかに重要であるかひしひしと感じます。弁護士さん方とともに、医療と法律にまたがる各種問題解決についても携わっています。

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