今バンプが改めて灯す“Flare”という“LAMP”――結成25周年・BUMP OF CHICKENが鳴らす現在地

 BUMP OF CHICKENから最新楽曲が届いた。結成25周年目にして彼らが紡いだ“Flare”は、歩んできた旅路の上に間違いなく鳴っている傑作と言っていいだろう。

1、「歌」のためのアレンジ

 一聴して、 “話がしたいよ”という楽曲の発表時と同じような感覚を抱いた方も多いのではないだろうか。その感覚を強めた要因は、多くのリスナーが発した「待ってました!」という反応もひとつ。しかしそれ以上に、両楽曲が余りにも「歌」のために研ぎ澄まされた、ミニマルなアレンジに包まれているからだろう。余りにもバンプらしい増川弘明(Gt.)のアルペジオで幕を開け、オーセンティックな升秀夫(Dr.)のパーカッションの響きと共に響く、藤原基央(Vo./Gt.)の歌声――特に藤原の歌声は、25年の時を経て、更にすべてに赦しを与えるような懐の深さを帯びている。

 サウンドスケープはシンプルでありながらも、すべてのアレンジが歌に寄り添いながら徐々にクライマックスへ向かう。ドラムインと共に色彩を増すギターのフレージング、スタジアムロックの潮流を汲んだ後から彼らのトレードマークともなったシンガロングを誘う合唱、足りない席への郷愁の到来と共に存在感を増すベースライン――そのすべてが、四畳半で生まれた歌を不必要な装飾なしに、生身のまま響き渡っている。

2、“LAMP”から“Flare”へ

 デビュー当時から、彼らはナイーヴな青さと孤独を携えて、歌の中で小さな命の存在証明を見つめ続けることで、リスナーと共依存のような関係を構築してきた。振り返ると20年以上も前になるが、インディーズデビューを果たした彼らは“LAMP”という楽曲を産んでいる。

小さく震える手にはマッチ 今にもランプに火を灯す

闇に凍えるこの身を救う 最後の術は この身の中に

(“LAMP”)

 自らの命を奮い立たせるものは、いつだって自らの手の中にあるということ、「願い」に至るはじまりは「想い」であるということ――生きていく中で押し寄せる虚無に対する自問自答を、独自の寓話のように描き切ったこの楽曲を、胸の中で灯火のように携えてきたリスナーは今なお多くいるだろう。

 その過去からの歴史がすべて結実したかのように、藤原だけにしか綴れない言葉が“Flare”には溢れている。とはいえ、楽曲の中で綴られた<終わったって気付かれないような こんな日々を>から抜け出す方法論をこの楽曲は具体的に描いているわけではない。「頑張れ!」とストレートに背中を押す楽曲でもない。――僕らと彼らが「こんな世の中で孤独に生きている」ということを歌っているだけだ。ただ、その虚飾のないリアルに救われる人間は確かに存在している。だからこそ、彼らの歌は20年以上に渡ってあまりにも多くの支持を受けてきたのだから。

誰も知らない 命の騒めき 失くさない ひと粒

どこにいるんだよ ここにいたんだよ

ちゃんと ずっと ちゃんと ずっと

(“Flare”)

 彼らは未だ、貴方の居場所をわかってくれる。そして彼らも未だ、自分の居場所を叫んでいる。“LAMP”から“Flare”へと姿を変えても、胸の中にある煩雑で投げ捨てたくなるような不安を照らし、孤独と孤独を歌の中で繋いでくれているのだ。

 タイトルが想起させる内容など、ファンの間では様々な憶測が飛び交っている同曲だが、藤原のコメントの中にある「ありがとう」という言葉と共に、今はただこの楽曲そのものを感じて欲しい。これからも彼らは、貴方と共に歩む灯火となってくれるはずだ。

0211AM0時解禁_Flare_JKT.jpg2021.02.11 Release BUMP OF CHICKEN「Flare」

各種配信サービスにて配信中

https://www.bumpofchicken.com/

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この記事を書いたのは

黒澤圭介

音専誌『MUSICA』/MASH A&Rなどを経て、現在は札幌在住。某メディアに所属しつつ、ライターも気ままに継続中。
音楽・映画(特にSF)・小説・珈琲・特定のラジオを好みます。
情報発信はこちらより。

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