3月8日は、女性の生き方を考える日「国際女性デー」です。
先日の東京五輪・パラリンピック組織委の森喜朗前会長の女性蔑視発言もあり、ジェンダーに関する世論は熱を帯びています。
そんな今だからこそ、なんとなく胸の奥にあった「モヤモヤ」した気持ちを言葉にして話してみるチャンスにしてみては?と思うのです。
私のモヤモヤのひとつは、「女子アナ」とか「女子マネージャー」という言葉のように女子〇〇、女〇〇、女流〇〇という言葉と、それに象徴されるものについてです。
女性であることが「珍しいから」「キャッチ―であるから」という理由で肩書の前に性を付ける呼び方をするのは、今の時代にはそぐわない。呼び名だけでなく、そこに付随する仕事内容なども見直されるべきものもあります。これは、我々メディアも情報番組などで不用意に使いがちなので注意すべきだと思います。
昔は、海外でも呼んでいた「スチュワーデス」今使われなくなったことにも、世論が反映されています。かつて、男性客室乗務員の総称を「スチュワード」と呼んでいましたがこの言葉は、語源に差別的な要素が含まれるとされていて(諸説あり)「スチュワーデス」はその女性形で「性差別用語」でもあるとして差別や偏見を是正しよう!という世界中の声によって言い換えられるようになりました。
しかし日本では、いまだ「偏見を生みかねない言葉」というものが私たちの周りに日常的に存在しています。
日本は男女格差国別ランキングで153カ国中121位と先進国の中で群を抜いて低い。
こうした日常の言葉の中にも、表れていると思うのです。無意識に根付いてしまった偏見に気づくためには見方を変えることを訴えるムーブメントや私たち、一人ひとりが声に出して伝えていくことが大切です。
そして、バイアスに気づくことは他者への優しさと自分の生きやすさにも繋がることだと思います。