今回お話を伺ったのは鈴村麻衣さんです。言語の専門家で大学で教鞭をとられています。”がん”にまつわる言葉の”強さ”を感じていて「言語の知識をがんにまつわる言語環境改善に生かす」道を模索中です。
◆『よっかかられたら痛かった』
2019年5月、当時2歳の息子さんを連れて出張の移動中のこと。
『よっかかられたら痛い』
違和感を感じました。前の年、出産後の検診では授乳中で乳だまりがありましたが”良性だろう”、という判断だったそうです。
その違和感が募り、6月上旬に専門医を受診したところ、がんの可能性が高いという診断を受けました。
確定診断を受けたのは2019年の6月下旬。右の乳房に3.8センチ と2センチ弱のしこり、ホルモン依存のタイプでしたがリンパ節にも転移があり、ステージ2Bという診断でした。
術前・術後の抗がん剤の効果は同じというエビデンスですが、効果が見えることから医師と相談の上、術前の抗がん剤を選択。
4か月にわたる抗がん剤治療を経て11月に手術、、、とおもいきや手術室で帯状疱疹が見つかり、手術を延期。12月の年末に右胸全摘の手術を受け、2020年1月から放射線治療、その後リュープリン→ゾラテックスにタモキシフェンの投薬中です。
医師である夫の助けもあり、あっという間にいろいろなことが進んだいったと振り返ります。
阿久津『息子さんが教えてくれたのですね』
麻衣さん『抗がん剤をやったので髪の毛が抜けたのです。それを拾う遊びをしてくれて・・・今もまだ3歳で病気のことは分かっていないと思うのですが、当時は励まされました。』
◆言われたときは”頭を殴られたような気分”
阿久津『誰もがそうだと思いますが、告知のときはショックでしたよね?』
麻衣さん『告知されたときは頭を鈍器で殴られた気分でした。ランチを食べて、きょうはいいよね、とビールを飲んで、気持ちを落ち着かせてから夫に電話しました。夫は(前の年の)良性の腫瘍のことがあったので”きたかー”と言われました。”ずっと気になっていて、自分が早く言えばよかった”と。』
麻酔医でもある旦那さん。医療者なのでこのあとどんなことが進み、その結果によってどう選択があるのかなどの次のイメージが湧きます。旦那さんの方がやせていってしまった、と話します。家族も”第2の患者”なのです。
◆一番つらかったこと
麻衣さん『家族をしんどくさせるのがつらかった。夫が疲弊していく様子を見るのが苦しかった。その疲弊があふれて、入院中のふとしたきっかけで結婚して初めて強い言葉を投げかけられたのです。』
手術前の抗がん剤治療を”ただただ必死でこなしていて”、”考えると余計しんどくなる”ので思考をオフにしていた”という麻衣さん。
表面上、旦那さんには辛そうに見えていなかったのではといいます。だからこそ募るイライラがあったのかもしれません。でも当時は自分にはそれしか手立てがなかったと振り返ります。
麻衣さんの言語学者らしい表現ですが【つらい記憶が比較的残っていないのは、それだけ思考や気持ちを言語化して記憶に定着させる作業ができなかったから】と話してくれました。
抗がん剤治療を受けながらも、手術も年末の休みとうまく合い、これまで途切れることなく、お仕事も続けておられます。
『自分は一生懸命やっているんだ、やれているんだという自己肯定』と『考えると余計しんどくなるのでそこは考えない』というしなやかな思考のコントロールが麻衣さんのチカラの原点なんだと参考になりました。
麻衣さんはこうとも話しています。
『死が迫ってきた、という実感。どうやっていきるかを考えなければいけなくなった。本当に2,3日ものすごくしんどかった。産休を経て、育児が一段落つき、キャリアパスを考えなくてはいけない段階での病。授業など続けられたのは周りの方の支援はなくてはなしえなかった。当時は様々な人に支援してもらってギリギリ立っていたと思います。”きょう、あす死ぬんじゃない。一日一日生きている”という思いになってきて、ようやく日常の日々に戻った。』
◆がんになってかけられて嫌だった言葉
麻衣さん『無言・・・ですかね。”無言”という言語表現は刺さりました。タブーだと思っているんだと思います。相手に気を遣わせ、ああ、(私のこと)かわいそうと思っているんだろうなと。』
そして『他の人に言わなくてもいいからね』という言葉。
麻衣さんは公表したほうが仕事の出来の不十分さについても周りの理解が得られ、
変に周囲を不快にさせないで済むのにと思っていたそうですが、広く公表はしなかったそうです。公表していたらもっと自由だったかもしれないと振り返ります。
中身の伴わない『サポートするよ』も気持ちとしてはモヤると。
とてもとてもよくわかります。
◆”言葉”で無駄な想像に疲れてしまわないように・・・
麻衣さんにはがんと診断される前につらい出来事がありました。
お子さんの死産、です。おなかは大きくなっていて分娩をせねばならない段階。
お子さんが亡くなったあと、事情を知らない人にかけられたという”おめでとう”という言葉はその時の麻衣さんのお気持ちを考えるといたたまれません。
当時、教えていた留学生から送られてきたメールに書かれていたのは『自分は何もできないけど散歩するなら声かけて』。
いい言葉ですね。温かい。
麻衣さんは様々な経験から病に立たされた人に心安らぐ表現、こういう言葉をかけてはどうか、というヒントを今後、言語学者として提案していけたら、と考えています。
例に出してくださったのは同僚の方のお話。子どもがうるさく騒いでいて、申し訳ないと思っていた同僚にかけたおばあちゃんの一声、『久しぶりに元気な赤ちゃんの声を聞いたわ、ありがとう』。周りの人にも聞こえるように話されたこの言葉で同僚は救われたと話していたそうです。
がんでいえば、トリプルネガティブ、という言葉。英語の解釈を知る人であれば、ネガティブは”陰性”という言葉だと理解できます。しかし、外来語である”ネガティブ (→消極的・悪いもの)”の意味の方が浸透している日本ではとても心理的に動揺してしまう。
こうした言葉の言い換えや添える言葉だけで人は少しでも心が和らぐのではないかと麻衣さんは考えています。
共感することばかりだった”言語”を学ぶ、麻衣さんの言葉。
私も”言葉”選びのお手伝いができればと思います。
文:阿久津友紀(乳がん患者)
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