厚真町に住む中学3年生丸山晴凪(はるた)君。
プロサーファーを目指す毎日はまさにサーフィン漬け。学校がある日も早朝4時に起きて父・聡史さんと海に通っています。
相手は自然、思い通りにいかないことの方が多いと言います。時には3時間、4時間もじっと波を待ち続けることも。
「波に乗れた時とか、技が成功した時。ああ、サーフィンやっててよかったなと思います。波に乗ったら笑顔になれます。」
遠浅の砂浜で良い波が立ちやすい厚真超の海。年間6万人ものサーファーが訪れ愛される、北海道NO.1のサーフスポットです。
町内の小学校ではサーフィンの授業も。先生は地元のサーファー。町の風景にサーフィンが溶け込んでいます。
晴凪くんについて町の人は
「オリンピック出るんじゃないですかね。やっぱり波に乗ってる姿はとてもかっこいいし、町の人達もそういった頑張りを見てると元気をもらえると思います。」
と語ります。
小学校3年生で出会ったサーフィンは、父のサーフィンへの思いに連れられて。
晴凪くんがサーフィンを始めたのは小学3年生の時。父、聡史さんの影響でした。
サーフィンが趣味だった聡史さんは、子供と一緒にサーフィンが出来る環境を求めて晴凪が1歳の時に厚真町に移住。
4年前には地元の子供たちがもっと気軽にサーフィンが楽しめるようにと少年団を設立しました。
「厚真の魅力を厚真の子たちにまず、より教えていきたい。晴凪の頑張りを見てくれてる子どもたちもたくさんいる。そこから繋がっていけばいいと思っています。」と語る父、聡史の元で地元の子供たちと練習を重ねた晴凪くんはメキメキと上達。
胆振東部地震を乗り越えて、世界へ。
その矢先、北海道を大地震が襲いました。
「その揺れの大きさは今でも少しの地震で思い出されるほど」と聡史さんは語ります。家にも亀裂が残り、地震直後は100kgもある薪ストーブがゴロゴロと転がっていたほど。
自宅は物が散乱し、ぐちゃぐちゃ。家は傾き、大規模半壊に。周りの道路も断絶し、一家が住む地区は孤立してしまいました。
そんな中、聡史さんは近隣の公園にテントを建て、仮の避難所を立ち上げ。地域の人の先頭に立ち、公園に近所の住民が集まれる場を設営。
そこを拠点におよそ1か月間、避難所から物資を集めて配り、炊き出しを行い、困っている人を助けて回りました。
さらに、全国からサーフィン仲間が駆け付けました。
サーファーが身体を洗う時の必需品、ポリタンクは200個集まり、住民の給水や水浴びに活躍。
「すごい絆が出来たというか。住民が一体になって乗り切ることが出来たと思う。」と語る聡史さん。その公園に寝泊まりしながら奮闘する父の姿を、晴凪くんは側で見ていました。
「率先していろんなことをやっていて、かっこいいと思いました。将来的にこんな人になりたい。」と語る晴凪くん。厚真への特別な思いも芽生えました。
震災から1か月で海に戻った晴凪くん。逆境を乗り越え北海道の大会で優勝し、全日本選手権にも初出場。
来年はオーストラリアの高校に進学し、サーフィン修業に励むと言います。
晴凪くんは厚真への思いを胸に、世界に羽ばたきます。
「やっぱ大好きな厚真の町からプロサーファーになる。目指すのは3年後、パリ。練習を積んでオリンピックに出たいと思います。」