『困窮する10代を救いたい』 イラク人質事件から18年 ”自己責任論”で引きこもりとなった少年のブレない思い
2022.04.07
#SDGs『お久しぶりです。生き残ってます。なんとか生きてます。』
正直、いろいろずっと遠くから心配していた。大学へ行ったことも、その後の生活の話も知っていた。
でもこの3年は自分の病気のことにかかりきりで、でもそのときにSNS上で今井くんが私を見つけてくれた。今井くんの発信を読んでみると、その間にものすごくいろいろなことに、素晴らしい仲間たちとチャレンジしていた。現在、生きづらさを抱えた子供たちを救いたいと大阪でNPO法人を運営している。結婚もして、ステップファーザーとしても歩みを進めている今井くんにひさしぶりに話を聞いた。
■『自己責任論』でバッシングや誹謗中傷・・・引きこもりに
今井紀明さん、36歳。
最初にあったときは18歳、高校を卒業したばかりだった。18年前のきょう、4月7日にイラクで起きた、3人の日本人が武装勢力によって誘拐された事件。記憶にあるだろうか。
戦時下のイラク。犯行グループは今井さんらの解放の条件として、駐留していた自衛隊の撤退を要求。当時の小泉総理はこれを拒否したが、3人は無事に解放された。
そのとき私は報道記者で、札幌にある今井さんのご自宅で取材。ご両親とともに上京してその解放・帰国までを見守っていた。今井さんのご両親の胸のうちを聞き、涙ながらカメラを回していたことを思い出す。毎日、ご家族と連絡を取り合い、解放された際の会見は最前列で安堵した。
しかし、帰国後の今井さんらを待っていたのは、危険を承知で入国したと批判する『自己責任論』の嵐。衝撃的な体験とも相まって、彼らはパニック障害で苦しんでいた。
しばらくたったあと、自宅でのインタビューのとき、高校時代にやっていた活動や写真などを見せてくれるときの表情と、聞きづらくても聞かざるを得なかった当時の様子を話すときのギャップに私自身も悩んだことを思い出す。
今井さん『いろいろと変化が激しい人生だったんですけど、子育てしつつ、今は仕事ができています。やりたいことがやれている、という感覚があります。』
その年の秋から予定していた海外留学をあきらめて、立命館アジア太平洋大学に進学。それでもPTSDがつらくてひきこもりの生活が続いていた。大学時代の友人に恵まれ、引っ張り出される形で『大学の3回生、4回生くらいになってようやく動けるようになってきた』というがそれでも復活したわけではなかった。
今井さん『事件後、当初の4〜5年前には戻りたくない。事件前の気力溢れる人間だった自分が何事にも関心がわかない、動けない。自分の好奇心が崩れていくような感覚。行動力がなくて動けない、うつ的な状況だった。PTSDの診断は受けていた。自殺願望も強かったし、すごく気持ちが下がっていた自分がいた。人と話すときは偽名を使うし、冷や汗もかくし、落ちついて話せない。』
30代に入って、生きててよかったとようやく思えるようになってきたという。おととしくらいまではSNSで自分のことを発信するのも怖かったと振り返る。
■子どもの支援 ブレない気持ち
ひとつの転機。2018年にイラクを訪れ、一緒に人質となった高遠さんに会ったこと。
(右から2番目 今井さん その右隣 高遠さん)
『いまだに連絡をとっている。(コロナ禍で)いったん、帰ってきているかもしれないが、ずっとイラクに残っている。』
高遠さんは事件前と変わらず、難民キャンプや少年院で子どもたちの支援を続けているのだ。
今井さんは『自分も基本的には変わっていない』と話す。
大学卒業後はJICAの青年海外協力隊としてアフリカのザンビアに向かった。当時からの子どもの不条理を変えたい、という思いは全くブレていない。
ザンビアでは英語教師。帰国後は大阪の商社で働きながら、日本の学校現場を回り、子どもたちの支援を日本でやろうと思い始めたのだという。
商社を辞めて、2012年に立ち上げたのがNPO法人D×P(でぃーぴー)だ。『Dream』(夢)×『Possiblity』(可能性)。
【10代をひとりにしない。】
学校とインターネット上で生きづらさを抱えた若者を支援している。学校へ出向き、不登校や高校中退の子どもの進路相談、居場所づくり、仕事体験ツアー。ネット上では『ユキサキチャット』というLINEを使ったオンライン相談窓口も開いている。
■コロナ禍でより浮かび上がる10代の困窮
力を入れていることがある。
コロナ禍で保護者に頼れず、困窮する10代が一時的に安心できる環境を整えるための食料支援や現金給付。パソコンを使ってスキルアップしてみたい10代にパソコンを無料で提供、プログラミングスクールや在宅ワークを提供する企業ともつなぎ、将来の選択肢を広げる支援も行っている。
自分が10代で引きこもった経験、そして、同じような不登校や家族関係、経済的に厳しい状況にいる子供たちに出会ったことで何かしなければという思いに突き動かされたという。
ある通信制高校の先生からは、進学や就職の相談にのっているが、それでも進路が決まらず卒業することがある。何か外部の人たちと一緒にできないだろうかと言われたのも大きなきっかけとなった。
今井さん『日本で圧倒的に若者への支援が少ないんです。10代は行政からサポートされづらい。』
今、D×Pで共に歩むメンバーは20代、30代の20人ほど。今井さんより年下ばかりだ。
民間企業で働いていた経験があるなどいろんなメンバーがいる。このほか、ボランティア登録をしている人は500人ほど。NPOの活動資金は寄付で賄っている。
『特に最初の5年くらいは食べられなかったんです。2畳半の家に住んでいて・・・収入ほとんどなかった。』と話す。そんなことは言っていられないほど、支援する若者たちの現状は過酷そのものだった。
今井さん『親に頼れない。親御さんが病気や精神疾患で非正規雇用などで支援が届いていない。同居していても、介護のヘルパーがついていない、ヤングケアラーとなり、どうやってこの状況を超えればいいのか。進学したいけどそれも無理ということも多い。大学生で養護施設の出身で、なかなか生活費が稼げず、借金、ローンに苦しんでいたりもする。国からの給付は直接若者には届かず世帯支援が多い。またD×Pがサポートする19歳から25歳くらいはいろいろな給付が対象外となるケースもあった。』
これらの問題はかなり複雑で複合的にからみあっていて、ひとつ解決しても解決しないことの方が多い。
■つながりが未来を生む
『自分自身だけではなくて、支えがあった。当時、顔を覚えられていたので本当に課題でしんどかった。祖母、家族、多くの大学時代の友人などそういう人たちが無数に声をかけてくれて、言わないときは言わないでくれて。いのち、消えたほうがずっといいと思っていた。その期間が長い。運が良かったと思ってます。』
18年という月日、その時間と仲間が彼を救い、その彼が今度は次の誰かを救いたいと新たな居場所を作っているのだ。
■若者への中長期的なセーフティーネットがない
今井さん『高齢者の福祉も大事だけれど、子育て世代、若者世代が生活しやすい環境を整えてほしいと思う。細かいことだけれどもオンラインの相談や申請ができないのが不平等を呼ぶ。行政のリアルの窓口は時間に余裕があるひとだけがその窓口にたどり着く。忙しく、仕事もあって生きるのに精いっぱいな人はたどり着かない。オンラインで支援の申請ができない。お金を出すだけではないと思う。』
北海道に帰らなかったのは?と聞いてみた。
『大阪の商社で働いていたときに知り合った人たちとの縁があったんです。さらに、結婚して、ステップファザーになったし、掃除洗濯もするし、家事タスクもやってます。でも、オンラインのユキサキチャットの登録者には北海道の人もいる。結構深刻です。』
オンラインの支援は大阪に限ったことではなく、彼らの支援で救われている人が全国にいる。今井さんの思いに賛同した寄付は全国・海外からも寄せられている。
今井さん『将来はアジアの子どもの支援にはかかわりたいという思いがあります。』
心の痛みがわかるからこそ、突き動かされる思いがある。
若者が『生きていける』と思えるような”つながりを得られる社会”を目指している今井さん。
困ったら人に頼っていいと思う。自分ひとりだけでは解決できないことでも人に頼るとすぐに解決策が見いだせるときがある。ひとりで頑張りすぎてはいけない。病になって本当に心からそう思う。とはいえ、困りごとはそれぞれでいざ困ったときに頼る場所がない、ということが多い。
若者にとってのその場所を彼らは作り出しているのだ。
必要な人に必要な支援が届くように、その支援は賛同を得て広がりを見せている。小さな一歩が大きなうねりになる可能性を秘めている。
行政・政治がここにできることはないのかと思うのは私だけではないはずだ。
認定NPO法人 D×P (でぃーぴー)
https://www.dreampossibility.com/