ハルニレは私の本籍地 | 十勝豊頃町から北海道の大自然を映すハルニレの写真を撮る浦島久(うらしま ひさし)

父、浦島甲一は豊頃で時計電気店を経営していました。店名は「カメヤトケイデンキ」。「カメヤ」が「浦島太郎」から来ていることは容易に想像できます。一度聞いたらすぐ覚えてくれるので、今では「浦島」という名前は好きですが、子供の頃は本当にイヤでした。よくからかわれたからです。

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豊頃町茂岩。私が店を継がないことがわかり、1990年に店を譲渡。

父が本業以上に情熱を傾けたのは写真でした。夜な夜な酒を飲みながら写真を眺める父が目に浮かびます。人とのコミュニケーションが苦手だったので、被写体は風景や牛や馬でした。代表作は10年間撮り続けたハルニレ。地元では「ハルニレの写真家」と呼ばれていました。

私は中学校を卒業するまで豊頃で過ごし、高校からは帯広で下宿。正直、田舎町から脱出でき幸せでした。大学時代は小樽、札幌で生活。そして、就職した松下電器産業(現在のパナソニック)での1年半で、大阪、横浜、宇都宮と転勤を経験しました。

そこから得た結論は、「私には本州の生活は合わない。暑すぎる。やはり北海道がいい!」。そんなことで戻ってきたのが帯広でした。1976年のことです。あれから46年。あんなに嫌っていた町ですが、豊頃町観光大使として町のPR活動をしています。

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牧草が伸びてきました。これからは一番刈り牧草(通常は7月末)以降がおすすめです。

転機は2009年から始めた写真撮影でした。気がつくと父と同じようにハルニレを四季を通じて追いかけています。季節によって違いますが、平均すると週3回は行っているでしょう。往復約2時間。ガソリン代もばかになりません。豊頃に実家がもうない私には、今ではハルニレが本籍地です。

私にとってハルニレは特別な場所です。同じ場所に立ち父もそこでシャッターを切っていたと考えるだけで、センチメンタルになってしまいます。この「浦島久のハルニレ日記」では、これからもハルニレにまつわるエピソードを中心に書いていくつもりです。もちろん、写真も。

豊頃町:http://www.toyokoro.jp

浦島甲一:http://www.k-urashima.com

ブログ「浦島久の玉手箱」:http://www.joyworld.com/blog/

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この記事を書いたのは

浦島久(うらしま・ひさし)

1952年北海道豊頃町生まれ。小樽商科大学(経営学)卒、帯広畜産大学修士課程(農業経済)修了。

大学卒業後に松下電器産業株式会社(現社名:パナソニック株式会社)へ入社するが、1977年に北海道へUターンし、帯広市にて英語教室「イングリッシュハウス・ジョイ」を設立。現在は、ジョイ・イングリッシュ・アカデミー学院長、小樽商科大学特認教授、豊頃町観光大使。

著書に『音読JAPAN』(IBC),『自分のことを1分間英語で話してみる』(共著、KADOKAWA)、『話すための英作文1秒反射トレーニング』(共著、DHC)など54冊。写真集として『Jewelry Ice』(十勝毎日新聞社)、『ハルニレ』(IBC)がある。趣味は、写真(風景)、音楽(ジャズ)、カーリング(世界シニアカーリング選手権2009、2010、2013、2014、2018出場)。

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