「北海道空襲」のこと、知っていますか? 57歳 さっぽろ単身日記

「北海道空襲」のこと、知っていますか?

恥ずかしながら、札幌に赴任するまで、札幌市は空襲被害のなかった都市だと思っていました。

私が北海道空襲のことを知ったのは、たまたま職場で見つけた児童向けの本からでした。タイトルは『あの子たちがいた七月 一九四五年北海道空襲』(共同文化社)。

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ページをめくると、空襲の被害を受けた都市と犠牲者の数が記された北海道の地図がありました。最も数が多かったのは室蘭の525人、次に根室の393人、釧路の229人。札幌は1人でした。

いまから77年前の昭和20(1945)年、7月14日から15日にかけて、米軍は北海道の各地を空襲しました。『あの子』によると、犠牲者は2916人、うち228人は子ども(16歳未満)でした。本には、そのなかの12人の話が書かれています。

とても不思議な本でした。

12人の子どもは実在したのに、書かれていた内容の大部分は著者の菊地慶一さんによる創作なのです。

いったいこれは何の物語なのか。

手稲区のサービス付き高齢者向け住宅に住む菊地さんを訪ねました。

なんと、御年90歳。

机の上には山積みの資料が。

菊地さん自身、13歳のときに釧路市で空襲を体験しました。

防空壕に逃げ込んで助かったものの、その後、北海道の各地で空襲があったこと、命を落としながら身元不明の人たちがいることを知り、愕然としたそうです。

「一人ひとりの名前をすべて明らかにしたい。それが生き残ったものの責務ですから」

小学校や高校の教諭として働きながら道内各地を歩き回り、市町村史などの資料を集め、聞き取りを続けてきました。

けれど最後まで名前すら分からない子どももいた。

「この子たちにも家族や友達がいて、楽しい時間や夢があった。創作でもいいから生きた証しを添えたい」

こうして12人の物語が生まれました。

菊地さんの許しを得て、最初に登場する「幸夫」の話を紹介します。

国民学校5年の幸夫は、母と姉、妹、弟の5人で暮らしている。

父はこの春に召集された。

昭和20年7月13日、幸夫は家から30キロほど離れた祖父母の家にいた。

噴火湾に面する漁村にある古い家と、漁師だったじっちゃん、優しいばっちゃんが幸夫は大好きだった。

朝、幸夫は姉と口げんかをした。

学校が終わっても家に帰らず、ランドセルを背負ったまま列車に乗って祖父母の家に来た。

ちょっとした家出だった。

「あしたは早く起きて学校へ行かんとだめだぞ」

五右衛門風呂のお湯に口元までつかりながら、夕日にきらめく海を見ていると、じっちゃんの声がした。

「母ちゃんも心配してるべや」

3人でごはんを食べながら、ばっちゃんが言った。

「おれ、あしたは学校に行ってくるわ。あと十日したら夏休みだから、ずっとここにきてていいかい」

「いいよ。ユキがいてくれたらうれしいわ」

ばっちゃんの顔がほころんだ。

14日、夜明けにばっちゃんに起こされた幸夫は目をこすりながらランドセルを背負った。

「行ってきあまーす」

戸口から飛び出した幸夫をばっちゃんが呼び止めた。

「これを持ってけ」

小屋の軒先にはスケトウダラを割いて干した棒ダラがつるされていた。

ばっちゃんはその一つを引き抜いて幸夫に手渡した。

「腹すいたらかじっていけよ」

幸夫は棒ダラを握って駅まで走った。

記録によると、昭和20年7月14日午前5時30分ころ、当時の砂原町(現・森町)を走っていた森発函館行きの列車が米軍機6機の機銃掃射を浴び、車掌と乗客の計5人が亡くなりました。列車に入った鉄道員が最初に目にしたのは、血の海となった客車内でランドセルを背負ったまま倒れていた男の子。なぜか手には「棒ダラ」が握られていました。

5人のうち男の子の身元だけが分かりませんでした。

襲撃のあった午前5時半は通学には早すぎます。なぜ、こんな時間にランドセルを背負っていたのか。それになぜ、棒ダラを握っていたのか。

菊地さんは、犠牲者が運ばれたお寺や地元の人を訪ねましたが、手がかりはありませんでした。

「この短い命を記憶から消してはいけない」

菊地さんは、男の子を「幸夫」と名付けました。

『あの子』のまえがきにはこう記されています。

どの子どもたちにもみじかい人生があった

日々のいのちのものがたりがあった

それをわたしたちが忘れるなら

子どもたちは二度殺される

戦争で殺され、記憶や記録からも殺される

菊地さんの話を聞きながらふと机の上を見ると、資料に混じって真新しい単行本のカバーと帯がありました。

もしかして…

「7月に新しい本を出すんです」

聞くと、釧路の空襲で自身が体験したことや、空襲被害者を訪ね歩いた調査の記録、空襲後の生活などをエッセーにしてまとめたとのこと。

「北海道空襲は北海道に残る戦争の記録なのに伝える人がいなくてどんどん忘れ去られている。伝えることのできる人間が伝え続けないと」

新刊のタイトルは『悲しみの夏 北海道空襲を忘れない』(中西出版)。

90歳の菊地さんから私たちへのメッセージです。

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この記事を書いたのは

山崎 靖

新潟県十日町市出身、昭和40年生まれのサラリーマン、キャリアコンサルタント、産業カウンセラー
姫路、京都、大阪、東京、神戸、仙台、名古屋、福岡と転勤を繰り返し、2021年4月から札幌で単身赴任中
初めての北海道ライフで、色々な〝初めて〟にチャレンジしています