ファイターズ 夢のボールパーク 幻の候補地を歩いてみた 57歳、さっぽろ単身日記
2022.07.20
#ファイターズ【さっぽろ単身日記 姫路、京都、大阪、東京、神戸、仙台、名古屋、福岡と転勤を繰り返し、2021年4月から札幌で単身赴任中】
ファイターズの新球場
ファイターズの新球場を苗穂につくる計画があった――
そんな話を耳にしました。
苗穂といえば、JR札幌駅から東方向の一つ目の駅で、私のマンションの窓のほぼ正面。実現していたら、いま北広島市で進んでいるボールパークの建設現場を毎日眺めることができたということか。
う~ん、惜しい。
果たして、計画は本当にあったのか。
あったとしたらなぜ消えたのか。
そもそもなぜ札幌市ではなく北広島市になったのか。
新聞の過去記事を調べました。
2016年5月24日の夕刊記事に「日本ハム 新球場計画」の見出し。文中には「札幌市内など15~20カ所で候補地の選定を進めている」と。その中に「苗穂案」があったのでしょうか。
ところが、その3週間後の6月15日の朝刊には、早くも「北広島市名乗り」の記事。場所も「きたひろしま総合運動公園予定地」と、具体的です。
これに対し、札幌市が候補地案を提案したのは1年近くたった翌17年4月。現本拠地の札幌ドーム近くにある月寒ドーム周辺と、北海道大学構内の2カ所でした。しかし、球団側の条件に合わなかったり、北大OBの反対があったりして頓挫。札幌市は第3の候補地として真駒内公園を提案しますが、時すでに遅し。18年3月26日、日ハムは北広島市に決定したと発表しました。
そのときの記事には「後手に回った札幌」の見出しが。
なるほど、そういうことか。
いや、待てよ。
過去記事のどこにも「苗穂」の文字が見当たらないではないか。
あの話はガセネタだったのか。
ネット検索してみると、どうも苗穂にある広大なJRの車両工場を移転させ、その跡地に建設する案がファンの間で広まっていたようです。確かに札幌駅の隣に最寄り駅があって都心に近いのは、スタジアムとしては大きな魅力。将来は札幌駅の新幹線ホームが苗穂駅寄りに設置される計画なので、ファンが熱望するのも納得できます。
その苗穂駅前はいま再開発が進み、橋上駅舎と直結する高層マンションが複数棟建設されています。まったく新しい街が生まれつつありますが、ちょっと周辺を歩くと昭和の雰囲気が漂うレトロな路地が残っていました。
碁盤の目のように道路が東西南北に走る札幌中心部では珍しく北東方向に伸びる道があります。地元で「ななめ通り」と呼ばれているその不思議な道を歩いていると、なんと歩道の路面にファイターズのチームロゴが。
聞くと、日ハムが札幌に移転し、近くに室内練習場もできたことから、「ななめ通り」の一部を「ファイターズ通り」と名付け、通り沿いの商店街にも「ファイターズ通り商店街」の愛称をつけたとのこと。
かつてこの近くには製麻工場があり、一帯に従業員目当てに多くの商店や飲食店が軒を連ねていました。その賑わいから〝第2のススキノ〟とも呼ばれていたとか。ところが、工場の閉鎖とともに人が減り、商店街も空洞化が進みます。そこで、かつての活気を取り戻したいと目を付けたのが、北海道にやってきたファイターズでした。
有志で応援団を結成し、商店街を上げてファイターズを盛り上げました。通りにはファイターズの旗が揺れ、2006年のリーグ制覇の夜はビールかけも行われたそうです。その勢いもあって、YOSAKOIソーランの会場にもなったことも。
ファイターズとともに元気を取り戻した商店街でしたが、コロナの影響もあるのかいまはシャッターが目立ちます。路面のロゴもひと世代前のデザインのままで、所々はがれていたりして、ちょっと寂しい雰囲気。
そんな通りをぶらぶら歩いていると、木造民家に看板を掲げた、ひときわレトロな洋食店を見つけました。
玄関前に立てかけられた黒板には「がんばれファイターズ!!佑ちゃんスペシャル定食」とあります。
「スペシャル定食」に吸い寄せられ、がらがらと引き戸を開けて中に入ると、現役時代のビッグボスが描かれた大きな絵画が目に飛び込んできました。ちょっとタバコ臭いテーブルに座り、早速「佑ちゃんスペシャル定食」を注文。出てきたのは、ごはんの上にメンチカツと焼き肉、半熟卵を載せたボリュームたっぷりのひと皿でした。
お店の人によると、斎藤佑樹選手の入団が決まった2010年に考案した看板メニューで、斎藤選手が引退した後もお客さんの強い要望で続けているとのこと。
「苗穂新球場」は幻に終わり、ファイターズもダントツの最下位ですが、この地の人たちのファイターズ愛は確かでした。