次の誰かのためにと綴っています。
乳がんになってから気づいたオットのコト。
オットの話
オットは実に私をよく見ている。気がのってないときは話しかけないし、寝ているときは起こさず放っておいてくれる。重い荷物はもってくれるし、聞かれたくないであろう話はまったく聞かない。でも聞いておくべき症状とかは把握しておいてくれる。手術前後も逐一現状報告をすれば、理解してくれて、病院についていってくれることもあれば、送ってはくれるが一人で行け、ということもあった。彼も祖母が乳がんでなんとなくわかっている部分があるのも大きい。ただ、突然、カメラを回せと、ツマに言われて困惑していたと思う。きょうはカメラ回さない方がいいのではないか?と言われたことももちろんある。
なかなか自分で本音も聞けないわけで、、、家で気心しれたカメラウーマンに聞いてもらったこともある。
オット「気持ちが落ちてるな、、、というのは瞬間瞬間であったことはあるけど、2週間とかある程度のスパンで、気が晴れないという時期があったことはない。基本的にイーブンペースで生活して仕事して、手術して、復帰して仕事して。だと思うんだよね。そんな何か自暴自棄になっていたことはない」
実によく見ている。
さらにオットは続ける。
「悔しかったからだと思うよ。自分がずっと取材していて患者さんがこうでしたってことを取材してる病気になったことが悔しかったんじゃないかという気はするけどね」
ホントによく見ている。
結構いろんな悔しい思いをしてきて、その都度乗り越えてきた。私は今回の病気もどうやら悔しさで乗り越えていこうとしているらしい。
日々の生活では、ものすごい勢いでモノを捨てていた。それでもモノより思い出、というマインドセットになっていることをオットは理解している。
手術から6か月。47歳の誕生日に猫好きな私のために「猫島」行きを計画してくれた。泊まりたい宿に泊まり、食べたいものを食べる。金毘羅さんへ行き、階段を上り、おみくじもひいた。無難な「吉」。気になるのは、病の項目だ。
「医師にかかって信心せよ」
無難だね、とオットが笑う。ホント無難だね、と返す。この日常さえ続けば本当に何もいらないなと思う。
これらの私の日常そのままをドキュメンタリーとして放送、制作した。番組をご覧になった方から、誰でもできると思わないでほしいという声も多くもらった。誰でもがんになって働けるわけではない。そりゃそうだ。それを強いることはしてはいけない。でも私が特別なわけではなくて、隠して普通に(を装って)働いている人もいる。私もめげそうになることもあるのだが、これで働くことを諦めたら、これまでのわたしのキャリアも失っちゃう。これが一番悔しいのだ。
この経験を隠して、マイナス、なきものにしてしまったら、自分のこれまでを全部なくす気がしてならなかった。そして、何よりこれまで世にわかってほしい、知ってほしいという思いで身体を張って私の取材に応えてくれていた患者のみなさんに申し訳ない。
私が隠れたら、その存在すらも隠してしまうのではないか。そう思った。
女性活躍、ダイバーシティと叫ばれているけれど、世の中そんなにまだ甘くない。もうこれで私のキャリアは終わったなと思った人もいただろう。現に仕事続けられるの?辞めるの?と聞いてきた人もいる。出産や育児でキャリアを一旦お休みし、肩身の狭い思いをして、もがいている後輩たちをみて心配していたが、今度はリアルに自分に降りかかった。
『11人にひとり』が『9人にひとり』になり、増え続けている。もっと、いろんな患者さんの話を聞いてそれを多くの人に知ってほしい。それが少しでも『次の誰かのために』なるはずだと確信している。本を制作し、今も取材を続けている理由だ。
がんとともに、、、。
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