スキーは20年ぶりだった。
「札幌でスキーをしないなんてもったいないですよ」
単身赴任を始めて最初の冬を迎えた日曜日、同僚のKさんの悪魔のささやきに誘われて市内にあるBスキー場に向かった。
Kさんは北大山スキー部のOB。毎年、Bスキー場のシーズン券を購入し、ロッジのロッカーを長期契約して板とブーツを預け、まるで自分の庭のようにスキーライフを満喫している強者だ。
そこまでやるか。
呆れ気味に聞いていた私も1年後にはKさんと全く同じことをやるとは、そのときは夢にも思わなかった。
新潟の豪雪地帯で育った私にとってスキーは身近な存在だった。体育の授業でもやっていたし、学生時代は夜中に車を走らせて朝から夜まで滑ったこともある。ただ、社会人になってからはほとんどやらなくなった。20年前に家族と野沢温泉スキー場に行ったので、それ以来になる。
円山公園駅前のバスターミナルから路線バスで15分。あっという間にゲレンデに着いた。人口200万の大都市にいながら通勤感覚でスキーができるとは。なるほど、悪魔のささやきにも納得だ。
Bスキー場は有名なニセコや札幌国際とは違って、いかにも地元のゲレンデっていう感じ。新潟の実家近くのスキー場にも雰囲気が似ている。さすがに広瀬香美の曲はかかっていなかったが。
板もブーツも持っていないので借りることに。ウェアはいつもの冬山登山の格好でいいだろう。レンタルショップに並ぶブーツは昔とそれほど変わっていないようだ。ただ、板は太く短くなっている。
これが、カービングってやつか。
かつてのスキー板は細くて手を真上に伸ばしたくらいの長さだった。カービングでは目の高さが基準なのだという。そういえば、学生時代は車のルーフにキャリアを着けてスキーを運んでいた。いまは車内に収まるのでそんな必要はないってことか。
足のサイズを申告し、カウンターでブーツを受け取る。ベンチに腰掛けて靴を脱ぎ、靴下姿になって目の前の黒いスキーブーツを凝視した。
さて、どう履くんだっけ。
恐る恐るつま先を入れてみた。
足の甲しか入らない。
立った方がいいのか。
おっとっと。
腰を上げたとたんに足元が不安定になり、思わず床に手をついてしまった。ブーツのせいで足首が不自然に曲がり、ふくらはぎがつりそうになる。こんなところで骨折なんかしたら何を言われるかわからない。
「手伝いましょうか」
ブーツと格闘しているおやじを見かねたのだろう。若い店員さんが優しく声をかけてくれた。
すみません。お願いします。
店員さんはブーツのすね部分にあるベロのようなもの(その名の通りタングというらしい)をつかむと、ぐぃっと思い切り前に伸ばした。すると、びっくりするほどブーツの履き口が広がった。
「こうすると履きやすいですよ」
初めから素直に頼れば良かった。
ようやく履くことはできたが、とにかく歩きにくい。
スキーブーツってこんなに硬かったっけ?
いきなりマジンガーゼットになったような気分だ。
板をかついでよろよろと歩き、なんとかリフト乗り場近くまでたどりついた。
板を雪の上に降ろし、ビンディングにブーツのつま先をはめる。そのまま、かかとを思い切り踏み込んだ。
カチッと心地よい感触が足に伝わる。
これだ。
雪と一体となる瞬間だった
20年前の感覚がよみがえる。
不安が一瞬で消え、ワクワク感に変わった。
よし、滑るぞ。
これがすべての始まりだった。
(続く)