コロナ禍で受診控えの後悔 でも私はこれまでをあきらめないことにした 両側乳がんになりました196

次の誰かのためにと綴っています。

フルタイムで働く・・・40代女性の話。

『2年前、現在の部署に異動して半年後の人間ドックで乳がんがみつかりました。
まったくの未経験業務をようやく覚え始めたところでした。
当時、娘が 4歳と 7歳でしたので、子供の発熱などでも仕事を休みがち、さらに異動から3カ月の時にも帯状疱疹で 2週間お休みをいただいていて、「また(休むの)!?」というタイミングでした。


それでも、あたたかい職場に支えられて入院直前まで働くことができました。転移の有無を調べる検査で偶然みつかった大腸ポリープを切除したら体調を崩して復帰を延期するというアクシデントもありましたが、退院から約 1か月後にフルタイムで仕事復帰することができて、今ちょうど 2年が経ったところです。

【浸潤がんだったことがショックだった・・・もっと早くいけばよかった 受診控えの後悔】


生検を受けることになった時点でどこかで覚悟はしていたので、「やっぱりか」というくらいの気持ちでした。
ただせめて「非浸潤」であってほしいと思っていたので「浸潤がん」と言われたことがとてもショックでした。

実は、前年の人間ドックでも指摘を受けていたにも関わらず、コロナ禍で(子どもたちを預けて行くのも連れて行くのも決心がつかずに)受診控えしてしまっていたのでとても後悔しましたし、結果が変わったかどうかはいまとなってはわかりませんが、ものすごく自分を責めました。

【入院までの気持ちは・・・申し訳ない】


そこから入院までは、家族にも職場にもただただ「申し訳ない」という気持ちでいっぱい。職場はちょうど繁忙期と重なって、また迷惑をかけることが本当に心苦しく同時に「(自分が)完全に職場のお荷物になってしまったな」と悲しい気持ちにもなりました。


家族に対しては親にも夫にも子どもたちにも大変なものを背負わせてしまってごめんねという気持ち。同時に毎晩子どもたちの寝顔を見ては「何歳まで一緒にいられるかな」と考えてしまう日々でした。
それなりに寝られてはいましたが、毎朝起きるたびに「あー全部夢だったりしないかな」と思っていて入院までの1カ月はちゃんと自分が立っているのかわからないようなフワフワした感覚で過ごしていました。

【支えは家族と仕事】

泣いてばかりいられない、と思わせてくれた家族の存在は本当に支えでしたが、仕事も気持ちを切り替えるための大切な支えになっていたように思います。
毎日会社に行って仕事をすると、病気のことを忘れられる時間もあってとてもありがたかったです。

夫と姉妹には再検査になった時から逐一報告。両親には診断確定してから、入院中の子供たちの世話などをお願いする相談も兼ねてにしました。

子どもたちには入院・手術することを中心に伝え、「がん」という病名は伝えていません。
成長する中で「がん=死」というイメージを得ることがあるのでは、そうなったら不安が増すのでは、と心配したからです。

「がん教育」がさらに広まって、「がん」という言葉のイメージが変わっていくことを期待しています。

友人は直接伝えたい、と思った人にのみ直接伝えました。

そのほかとにかく子供たちの生活や心(精神的に不安定になることがあるかも)が心配だったので、保育園や学校、学童保育の先生、習い事の先生にも広く伝えてフォローをお願いしました。

『待っているよ』で泣けた 印象に残った言葉

職場の上司から「復帰したらまたたくさん働いてもらうから、仕事のことはいったん忘れてしっかり治してきて。待ってるよ。」

こんなに迷惑ばかりかけているのに、戻ってきていいんだな、受け入れてもらえるんだな、と泣けました。

そして、職場の元上司から仕事復帰後、治療が長いことや再発転移の不安を吐露したときに
「医療は日々進歩するから。乳がんは症例も多いし 、5年後 10年後に再発したとしても今よりもっといい治療法を選択できるようになっている可能性も高い。今から不安に思わないでその時が来た時に考えればいい。」 と言われ、説得力があって気持ちが楽になりました。

できれば病気にならないで気づきたかったとは思いますが、家族や友人、職場など人のあたたかさを気づいたり、そうした恵まれた環境に感謝する気持ちが今まで以上に強くなりました。

がん患者になったからできない、はやめよう

心掛けていることは「がん患者になったから〇〇できない」という発想はしないこと。
り患した当時、「がんになってできなくなること」ばかり考えて悲しくなってしまう時期がありました。
(例えば、転職したくなってもできない、チャレンジングな仕事もできないかも、温泉に行けない、子供を抱っこできない、もうこんな洋服着れない …など)


でも、私がそうやって後ろ向きになるのは子供にもよくないな、と思ってやめよう、と。 
2年経った今、できていることがほとんどです。

今もまた新しい仕事を必死で覚えているし、温泉も行くし、当時より重たい子供も抱っこできるし、着る洋服も変わっていない、もしできないことがあったとしても別の選択肢があるかもしれないので後ろ向きに諦めることは絶対しない、と決めています。』

ありがとうございます。

誰かのためにと話してくださった言葉の数々。

彼女の働く上での問題点のご指摘はするどい・・・次回に続きます。

働くサバイバーを応援『ひとりじゃないよ』の気持ちで『歩こう』

https://pinkribbonwalk.breastcare.jp/

シン・ピンクリボンウォーク2023をご存じでしょうか?

乳がんを知るための一歩、知らせるための一歩、支えるためにもう一歩。

ということで歩いての啓発活動。1キロ、10キロ、30キロとあり、いつでもどこでも参加することができます。コロナ禍で3年開催を見送ったイベントが帰ってきました。

6月1日から7月1日までが大会期間。6月30日までに参加登録した人が参加可能です。

フィナーレのイベントはパシフィコ横浜ノースで行われている日本乳癌学会の学術総会の会場です。私は別に啓発活動を北海道で行っているので伺えませんが、患者の皆さま向けの患者・市民参画プログラム(BC-PAP)も実施されます。仲間つくりにもつながりますのでご興味のある方はこちらもぜひ。【BC-PAPの受付は6月9日まで延長されました・・・いいプログラムが出来上がったので是非、とのこと】

https://www.congre.co.jp/jbcs2023/patient/index.html

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がんとともに、、、。

番組、SODANEへのご感想、ご意見お聞かせください。
番組制作、今後のイベント、SODANEなどで活用させていただきます。
がんとともに生きる方、ご家族を持つ方、そうでなくても、もちろん、どんなことでも、構いません。
決して1人ではありません。

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この記事を書いたのは

阿久津友紀

乳がん患者さんが治療中に被災したら? 『防災の心がまえ』をもとに『女性の病と防災』を考える おっぱい2つとってみた作者とHTB森アナウンサーが本音トーク 
https://youtu.be/AO8Xzebt0Ys

『おっぱい2つとってみた がんと生きる、働く、伝える(北海道新聞社刊)10月6日発売

おっぱい2つとってみた がんと生きる、働く、伝える

「LINE特集 「失われる自分らしさ」。乳がんになった私たちの3年間。例え、心が折れそうでも…」
https://news.line.me/detail/oa-htbnews/bt2o2l9r6cfc

YouTubeで乳がんについて配信しています!

ピンクリボントーク【ホルモン治療の副作用と簡単ヨガ】 
https://youtu.be/gOOiLPH-n2I

温泉ソムリエも取得しました!

『アピアランスケアを考える』
https://youtu.be/3qVd1xXFvaU

ピンクリボントーク 患者と家族と社会 ~生きてくのに必要なコト~
アーカイブ配信:無料
https://youtu.be/PS4eJMy4GcY

第4弾の”がん患者さんとココロ” 北海道の斗南病院の精神科長で登録精神腫瘍医の上村先生に伺いました。アーカイブは
https://youtu.be/D-j4RrGSgkw

これまでの動画は・・・
【乳がん】おっぱい2つとってみた

HTBノンフィクション おっぱい2つとってみた
【2020年日本民間放送連盟賞 番組部門 テレビ報道番組優秀賞受賞】
【2020年ギャラクシー賞 奨励賞】

HTBonデマンドで無料配信中!
https://www.hod.htb.co.jp/pg_nf/pg_id_nf006

テレメンタリー2020『おっぱい2つとってみた~46歳両側乳がん~』年間最優秀賞 
ギャラクシー賞・選奨(報道活動部門)/民放連 放送と公共性 優秀賞
活動の一部は・・・
youtubeLIVEでピンクリボントーク① 見逃し配信中!
https://sciencefestival.jp/event/breast-cancer/

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