映画『急に具合が悪くなる』病と死の不確実性の先にある、私たちが「今、できること」コラム:両側乳がんになりました。
2026.08.17
少し出遅れた感があるが、シアターキノで第79回カンヌ国際映画祭で女優賞を受賞した濱口竜介監督の最新作『急に具合が悪くなる』をようやく見ることができた。
ステージⅣのがんを患う日本人演出家と、フランスの介護施設長とのまさに魂の交流を描いたこの映画は、静かでありながら、どう死に向き合うのかを考えさせられる。(ネタバレ注意)
原作は、哲学者・磯野真穂さんと人類学者・宮野真生子さんによる同名の往復書簡。病を抱えて生きることの不確定性やリスクをめぐる研究者同士の対話を、濱口監督はフィクションという器に見事に落とし込み、原作者の一人が「アートになった」と評した通り、非常に哲学的なアートな映画になった。
タイトルにある通り、人はいつ、どのように「急に具合が悪くなる」か分からない。根底に流れているのは、その残酷なまでの「不確実性」である。
映画の中で上演される舞台。「健康な人は本当に生きている?」と問う。
近づいてみれば、誰もまともな人はいない、、というタイトルの舞台。重度の自閉症の男性が途中で声をあげて入り込むけれども、ハプニングか?という問いに Yes and No と答える。自分の信じる境界線や意識は本当にそれで正しいのか?ちゃんと生きているのか、を問われている気がした。
私自身、この映画を観ながら、がんと共に生き、そして旅立っていったある友人の姿を重ね合わせずにはいられなかった。私たちは普段、「死」や「病」をどこか遠い世界のもの、あるいは「知っているつもり」の知識として処理しがちだ。
しかし、いざ自分や大切な人が当事者になった途端、頭は真っ白になり、コントロールできない身体と未来に対する恐怖に直面する。劇中の主人公の女性もまた、自らのカラダが意志に反して衰えていく過程で、葛藤と孤独に苛まれる。
そんな暗闇の中で一筋の光となるのが、「人に頼る」という行為の発見である。私がかつて友人から教わった言葉がある。 「できることをやっていけばいい。できないことを無理して無駄な時間を使うより、できることを伸ばしたほうが絶対いい」
それはまさに、劇中で主人公がフランスの介護施設長との対話を通して辿り着く境地と重なっている。少しずつ「自分がやるべきこと」と「他者に任せるべきこと」を切り分けているように思えた。他者に身を委ねることは、決して敗北でも諦めでもない。それは、限られた時間の中で自分らしく生きるための、非常に前向きで力強い選択なのだと私は思える。
病状が進行し、文字通り「急に具合が悪くなる」日々が増えていく。死が近づくにつれ、できることは確実に減っていく。だが、濱口監督が映し出したのはその日々が単なる「具合の悪さ」や「悲しみ」だけで埋め尽くされるものではないこと。
なかなか日本映画では見ることのない、微細な日常の描写で描く。(3時間超えの長編)
私が友人に感じていた、お見舞いで食べられるものが減っても、交わす言葉が少なくなっても、SNSのやりとりの数々は、確かに「生きている日常」があったように思う。
命の長さには違いがあれど、限りがあるのは誰もが同じだ。だからこそ、今できることをやり、生ききる。悔しいのだ、と語る主人公。共感しかない。
病を特別な誰かの悲劇として消費することを許さない。誰もがいつか当事者になるからこそ、私たちは生と死のメカニズムを知り、語り合わなければならないのかもしれない。
遺された言葉や思いを一人だけのものにせず、誰かに伝えていくこと。主人公と施設長の国境を越えた対話がそうであったように、この映画自体が、監督から観客へと託された壮大な「手紙」なのかもしれない。
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