「誰のための言葉なのか」――ポスターの向こう側にいるひとへの配慮 厚労省映画タイアップポスター 「ママがもうこの世界にいなくても」
2026.08.25
「うわ、、また起きた。」
厚生労働省の映画タイアップポスターが取り下げられたことを知ったとき、どこか苦しい既視感を覚えました。
「ママがもうこの世界にいなくても」という映画のタイアッププロモーション。厚生労働省とコラボ。最近、映画のプロモーションが公的機関とのポスターコラボはよくある話。(他にも、、、炎上している作品もありますが)こちらの映画のポスターが病院などに置かれ始めたことから話題となりました。
今回の映画は若年性がんをテーマにしたもの。タイトルは「ママがもうこの世界にいなくても」。
もちろん、病院にはいろいろな人がいます。未病のひともそうではないひともいる。
でもどちらかというと、生きるために必死で命と向き合っている場所、という人が多いのではないでしょうか。
その文字を見上げることがどれほど当事者の心を揺さぶってしまうか。啓発を届ける側に、ほんの少しだけ相手を想う想像力が届いていなかったのかもしれません。
https://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/tie-up_00001.html
若年性がん(AYA世代)の支援制度を広く知ってもらうことや、映画作品そのものが持つメッセージを否定したいわけではありません。けれど、病院の廊下や待合室で必死に治療に励み、不安な夜をいくつも越えてきた当事者やご家族が、その言葉を目にしたときの気持ちを想うと、どうしても悲しみが込み上げてくるのです。
私自身、両側乳がんを経験し、北海道のWebメディア「SODANE」の連載などを通じて、がんサバイバーのリアルな想いを発信してきました。
2022年、日本対がん協会が主管するピンクリボンの受賞ポスターでガラポン(抽選機)が描かれ、「まさか、私が」というコピーがついたときも、私はたまらず「私たちはガラポンじゃない」「欠けていたのは想像力」とSODANEに綴りました。がんは当たりのないくじ引きではなく、私たちが今日を生きる現実そのものだからです。
あれから時が経ち、また同じように当事者の心を傷つけてしまう事態が繰り返されてしまったことが、切なくてなりません。
厚労省は人生会議、、のときも記憶があり・・・。誰か気づいてほしかった。
啓発という取り組みは、本来誰かを守り、そっと背中を押すための温かいものであるはずです。けれど、「話題性」や「拡散効果」ばかりが優先されてしまうと、いちばん大切にされるべき現場の人の心情が置き去りにされてしまいます。
病院のベンチに座り、自分の番号が呼ばれるのを待つ時間。ポスターを見上げる人の胸の中には、言葉にならない願いや揺れ動く不安があります。
表現を過剰に規制してほしいわけではありません。映画も実話に基づいていますし、大事なことをたくさん伝えてくれる中身のはず。でも何の気もなくみた当事者は傷つけてしまう可能性が高い。
どうか誰かの心を傷つける凶器になりませんように。
ただ、啓発活動って興味のあるひとには届くけど、まったく興味のないひとにはかすりもしない、、ことも実感しています。だからこそゆれる、ゆらすものではないと届かないのもわかる。SNSが突飛になってしまうのもそのひとつかと。だけど、越えてはいけない一線はある気がします。
映画のポスター、、、若年性乳がんについて、どこにどのように置くのが一番啓発できるのか。検診施設限定ならよかったのか。(でも難しいよね・・。)
答えを私も持ち合わせていません。それだけ、難しい問題。
素晴らしいな、と思ったのは送付済みのポスターを回収、掲示を中止という判断が出る前に現場で医師や看護師の方々が自主的に取りやめてくださっている例が多数あったそうです。寄り添って考えてくださる方が最前線にいるんだ、と思うのです。
がんとともに、、、。
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