【北海道・小樽】出動命令に誰よりも早く反応!?昭和初期に実在した伝説のヒーロー「消防犬ぶん公」の知られざる感動秘話
2025.12.02
北海道小樽市。歴史ある運河やレトロな街並みで知られるこの港町に、かつて一匹の「伝説の犬」がいたことをご存じでしょうか?

小樽市消防本部の公式X(旧Twitter)のアイコンにもなっているその犬の名は「ぶん公」。

ただのマスコットキャラクターではありません。昭和の初期、実際に消防隊員と共に火災現場を駆け回り、市民を守り抜いた実在の「消防犬」なのです。

今回は、当時の新聞記事や証言をもとに紐解かれた、ぶん公の驚くべき能力と、小樽市民との心温まる絆の物語をご紹介します。
焼け跡から始まった「消防犬」としての人生
ぶん公と消防隊の出会いは、ドラマのような出来事から始まりました。

昭和初期の小樽は、山と海に囲まれ風が強く、火災が多い地域でした。

ある日の火災現場、焼け跡から一匹の子犬が見つかります。

「犬だ!犬がいるぞ、助けろ!」

消防隊員たちによって保護されたその子犬は、「ぶん公」と名付けられ、小樽消防組(現在の消防本部)で飼われることになりました。

隊員たちに可愛がられ、すくすくと育ったぶん公は、やがて消防署のアイドル的存在、そして頼もしい「相棒」へと成長していきます。
人間顔負け!?新聞も報じた驚きの「特殊能力」

ぶん公が単なるペットで終わらなかったのは、その類まれなる知能と勇敢さゆえでした。 火災発生のベルが鳴り響くと、ぶん公の行動は誰よりも迅速でした。

隊員たちが装備を整えている間に、なんと誰よりも早く消防車に乗り込み、助手席でスタンバイしていたというのです。

さらに、火災現場での活躍ぶりは、当時の新聞(昭和11年5月6日付など)にも詳細に記されています。

記事によると、ぶん公には大きく分けて2つの「お役目」がありました。
ぶん公のお役目
ホースの筒先をくわえて運ぶ:ポンプ車から伸びるホースの先を口にくわえ、放水担当の隊員の元へ走って手渡す。
ホースのねじれを直す:これが人間以上の早業だったと言われています。
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ホースが絡まって水が出にくくなると、その箇所を見つけ出し、自ら直して水の通りを良くしていたのです。

- 「犬ながらも重大な責任を持っている」と新聞に称賛されるほど、ぶん公は立派な「消防隊員」として現場で戦っていました。
あまりに賢すぎる!「一人で入院」エピソード
ぶん公の賢さを物語る、こんな驚きのエピソードも残されています。
ある時、体調を崩したぶん公は動物病院に入院することになりました。1週間ほどで一度は元気に退院しましたが、その後無理をしたせいか、再び体調が悪化してしまいます。

すると、なんとぶん公は「一人で(一匹で)その病院に行き、自ら入院した」というのです。
自分の体調を理解し、治してくれる場所へ自ら赴くその知能の高さには、当時の記者も「これには全く驚かされました」と記事を書き残しています。
24歳の大往生、そして伝説へ

数々の現場で活躍し、ラジオや新聞で全国的な人気者となったぶん公。晩年は視力を失い、体も弱ってしまいましたが、それでも最期まで隊員たちに愛され続けました。

昭和13年2月、ぶん公は天国へと旅立ちました。享年24。
人間で言えば100歳を超える大往生でした。

ぶん公の死に際しては、なんと公務中に亡くなった消防隊員と同じ扱いの「消防葬」が執り行われました。多くの職員や子どもたちが参列し、英雄の死を悼んだといいます。
ぶん公の魂は今も小樽に

現在、小樽運河のすぐそば、洋菓子店「ルタオ」の向かい側(小樽市色内2丁目)には、誇らしげに空を見上げるぶん公の銅像が建っています。この銅像は平成18年に建てられたもので、季節ごとに地元のボランティアによってサンタクロースや法被などの衣装に着せ替えられ、観光客や市民を楽しませています。

また、小樽市総合博物館・運河館には、ぶん公の功績を後世に伝えるために剥製が展示されており、命日である2月3日が近づくと、

生前の大好物だったキャラメルがお供えされるそうです。
「子どもの頃にぶん公の絵本を読んで、消防士を目指しました」

そう語る現役の消防隊員もいるほど、ぶん公の物語は今も小樽の街に息づいています。

火災現場を駆け抜け、人々に愛された小さな英雄、消防犬ぶん公。小樽を訪れた際は、ぜひ彼の銅像に会いに行ってみてはいかがでしょうか。今も変わらぬ姿で、小樽の街と人々の安全を見守り続けてくれているはずです。
