『革靴』で登れる? 初めての藻岩山② 57歳、単身赴任日記
2022.03.17
#アウトドア初めての藻岩山②
①はこちら
https://sodane.hokkaido.jp/column/202203101730001890.html
革靴だ。
藻岩山登山の当日、マンションのエレベーターの中で足元に気付いてしまった。
私は基本的に運動が苦手で、登山やキャンプといったアウトドアにはほとんど興味がなかった。転勤族なので単身赴任先の札幌のマンションには最低限の荷物しか持ち込んでいない。服もビジネス用のほかは街中で買い物する程度の種類しかない。
革靴にチノパン、仕事用のワイシャツ。以上がこの日の私の格好だった。
確か、吉田類さんも登山ルックだったような。ストックも持っていたな。
せめて靴だけは、と思ったが、ない袖は振れない。
札幌での生活は初めてだが、出張では何度か来たことがある。数年前、会議の合間に同僚に誘われて円山に登ったことがあった。このときの格好はスーツに革靴。それでも転ぶことも足を痛めることもなく、比較的簡単に山頂まで登ることができたのだ。
円山は標高225メートル、藻岩山は531メートル。円山を2回登ると考えれば大丈夫だろう。もしダメでも途中で下りたらいいし。と、無理やり自分を納得させながら、エントランス前で待っていたタクシーに乗り込んだ。
「慈啓会病院前まで」
と行き先を告げる。
「お医者さんですか。休みなのにご苦労様です」
「いえ…」
まさか、藻岩山に登るためにタクシーを呼んだなんて、口が裂けても言えない。
そんな罪悪感にかられながら、およそ想定した通り、約20分、3000円ほどで目的地に到着した。
まず、車の多さに驚いた。お寺の駐車場のようなところはすでにいっぱいで、路上にまではみだしている。この人たちはみな藻岩山に登っているのだろうか。
登山道の入り口には公衆トイレと洗い場があり、いかにもこれから山に登りますという格好の人たちが数人集まっている。
当然だが、革靴、ワイシャツのような輩は一人もいない。が、いまさら後戻りは出来ない。
「まさか、その服装で登るんじゃないよね」
そんな視線を背中に感じながら、まあ何とかなるだろう、と自分に言い聞かせて、登山道に足を踏み入れた。
その一歩が悲劇への始まりだった。
それでも・・・
革靴でも出だしは順調だった。
登山道に一歩足を踏み入れた瞬間、その外側の世界とは違う厳かな空気を感じた。
木々が空を覆い隠して薄暗く、ひんやりしていた。
深呼吸をする。新鮮な空気が体中にしみわたり、自然と一体となったような感覚を覚えた。
アイヌの人たちから「尊い神の山」とあがめられた理由が分かるような気がした。
登山道は多くの登山客に踏み固められたためか、思いのほか歩きやすい。
しばらく行くとハルニレの木が迎えてくれた。
札幌を代表する樹木で、よく喫茶店の名前などに使われるエルムの名前でも知られる。
続いて現れたのはオヒョウの木だ。
オヒョウと言えばアイヌの伝統的な衣装「アットゥシ」の原料となる樹木だ。オヒョウの木の皮をはぎ、より合わせて一本一本の糸をつくる。気の遠くなるような作業を繰り返してつくられた織物は水に強く丈夫で、それでいて空気を通す独特の服となる。
こんな風に書くといかにも植物に詳しいかのように思われそうだが、いずれも木の幹に「ハルニレ」「オヒョウ」と名札が付けられているので分かりやすい。名札がなければハルニレとオヒョウの区別なんてできない。
少し急になった坂道の途中に、吉田類さんの番組で紹介されていたカツラの巨木があった。ここに、多いときには5匹のエゾリスの家族が住んでいたという。このエゾリスがきっかけで類さんは藻岩山を好きになったそうだ。残念ながらこの日は会うことができなかった。
シャリンシャリンと熊よけの鈴をぶらさげて登る人も多い。そういえば、このところ札幌市内で相次いで目撃されている。そのせいで旭山記念公園コースは閉鎖されていた。まあ、これだけ人がいれば熊に出会うことはないだろう。
上り坂が続いて少し息が切れかけたかなと感じたとき、コンクリート製の建造物が見えてきた。案内板によると「日本初のスキーリフト跡地」とある。昭和21年に進駐軍専用として日本初のリフトを備えたスキー場がここに設置されたという。藻岩山は色々な歴史を包含している。ここで何人かの登山客が休憩していた。
登山道入り口から20分、山頂まであと1時間ほどだろうか。汗も出てきた。水を飲みたいところだが、財布と携帯しか持って来なかった。
何とか行けそうだな。
このときはまだ余裕があった。
(③に続く)