タワマン25階でふと浮かぶのは 竹内まりやの名曲だった 57歳、さっぽろ単身日記
2022.05.19
#札幌前回はこちら・・・
https://sodane.hokkaido.jp/column/202205111030002113.html
実際のところ、いまのマンションに決めた最大の理由は家賃だった。
ネットで職場や駅に近い物件を調べていたらこのマンションにたどりついた。たまたま空いていた部屋が25階だった。東京で同じような条件のマンションだったら、おそらく2、3倍はするだろう。単身用で狭いのが難点だが、この家賃で25階に住めるとは思ってもいなかった。
ただ1点、心配なことがあった。
私は高いところが苦手なのだ。
高層の窓から下をのぞき込むと、くらくらし、落ちてしまうのではないか、と不安になることもある。
実際、マンションの25階に住んでいるいまもめったにベランダに出ることはない。幸い、札幌のマンションの窓は二重になっていて簡単に開けられない。また規約でベランダにものを置くことが禁止されている。そのため窓はほとんど閉めっぱなしだ。
つまり、街を見下ろす「優越感」と、落ちるんじゃないかという「恐怖心」という相反する感情を抱えながら25階に暮らしている。そんな不安定な状態でわざわざ25階に住むことはないんじゃないか。たいていの人はそう思うだろう。ただ私はあえて25階に住むことが、自分を鍛えること、修行だと考えている。
実は飛行機に乗ったときも同じような精神状態になることがある。一種の高所恐怖症なのだろう。転勤族で出張も多い仕事柄、この症状をなんとか克服しなければならない。そんなとき、カウンセリングの勉強をしながら出会ったのが「森田療法」だった。
森田正馬という人が始めた精神療法で、ある感覚に注意が集中するとその感覚に対して敏感になり、ますますその方向に注意を固着させてしまうという考え方に基づく。つまり、「落ちるんじゃないか」という感覚に注意を集中させればさせるほどその感覚が増幅される悪循環に陥るというのだ。なるほど高所や機内での感覚がまさにそれだった。
その悪循環から抜け出すための手段の一つとして森田療法が使う表現に「恐怖突入」がある。その名の通り、恐怖心の対象から逃げるのではなく、むしろ突入して克服するやり方だ。勇気を持って実行することで恐怖心に慣れ、その対象が自然に消えていく。薬を使うことなく、心の持ちようで自分自身を変えることができる。
私が25階に住んでいるのはそのための鍛錬だ。そう自分に言い聞かせている。
そんな日々の鍛錬で克服しなければならないことの一つが寝ることだった。
夜、部屋を暗くしてベッドに横たわる。たいていそのまま寝てしまうことが多いが、目が冴えて寝付けないときなど、ふと、ここがマンションの25階、地上80メートルであることを意識してしまう。すると、体が宙に浮いているような落ち着かない感覚に襲われる。いったんその感覚に入り込むと、どうしても意識してしまい、振り払おうとすればするほど逆に敏感になって増幅していく。そんな悪循環に陥ってしまう。
そんなときは、寝ることを諦めて窓の外をながめるようにしている。
これも「恐怖突入」の効果なのか、不思議と気持ちが落ち着く。
25階の部屋は東向きだ。テレビ塔やオフィスビルが立ち並ぶ南側や西側と違い、東側には住宅地が広がっている。中層のマンション、ショッピングモール、苗穂駅周辺では建設中の高層マンションもある。
眼下に白や赤、青、黄色の光がまたたく。
マンションの窓にも明かりが見える。こんな時間に何をやっているのだろう。ネットフリックスのドラマにはまっているのか。それとも、私と同じように眠れない夜を過ごしているのか。
路上には赤色灯を回したまま救急車が停車している。コロナで搬送先の病院が見つからないのだろうか。
遠くに浮かび出すホテルの窓灯り
走る車のひとつひとつにさえ
悲しみを抱えた誰かがいること思えば
私の孤独は少し贅沢
竹内まりやの「夜景」という曲の歌詞にこんな一節がある。
夜景に救われるのは、その灯りの中に悲しみを抱えた誰かがいるからなのだろうか。
無数の光が一人ではないことを教えてくれる。
竹内まりやと言えば「駅」だ。
年のせいか、それとも単身赴任の寂しさからか、昔聴いていた曲を急にまた聴きたくなることがある。「駅」もそんなローテーションの一つだ。
久しぶりに聴いてみた。映画のワンシーンのような歌詞に、切なさより心の強さを感じたのは、これも年のせいだろうか。
きょうも25階の窓に広がる、「ありふれた夜」に癒やされている。