「ガス欠」になってしまった・・・ 車ではなく登山の話 ここも札幌!? 空沼岳編 57歳、さっぽろ単身日記

「ガス欠」になってしまった。車ではなく登山の話です。

秋晴れの空沼岳。
登り始めてから3時間半。もう少しで頂上という岩場を前にして、急に体が動かなくなった。
これまで何度も登っていた藻岩山では、足の筋肉が疲労して棒のようになり、一時的に動けなくなることは何度かあった。しかし、それとはまったく違う感覚だった。体の一部ではなく全身が一気に疲労したような、脱力感という言葉が合っているかも知れない。とにかく一歩も動けないのだ。


この体はいったいどうなってしまったのか。実は、1千メートル超の山に登るのは初めてだった。前の夜は興奮してよく眠れなかったが、朝食はしっかりとったつもりだ。登り始めてからも、最初は調子よかった。30分から1時間間隔で休憩して、水分補給をしながらも、ガイドブックに目安とされている所要時間より早いペースだった。なのになぜ、急に動けなくなったのか。脱力感と同時に襲ってきたのが、いままで経験したことのないような激しい空腹感だった。


これって、もしかしたら「ガス欠」?


登山の途中で食べる、いわゆる行動食の準備を怠っていた。リュックにはコンビニで買ったおにぎりがあったが、頂上でお湯を沸かしてカップラーメ
ンと一緒に食べることしか考えていなかった。途中で口にしたものと言えば、2時間ほど前に休憩した山荘で口にした、ひとかけらのドライマンゴーだけ。なぜか、これがものすごく美味しかった。

「どうですか」

山荘の階段に腰をおろしたとき、同行のKさんが優しく差し出してくれた。Kさんは空沼岳だけでも年に数回は登っている登山のベテランだ。おそらく、水以外何も口にしないままひたすら歩き続けていた私を見かねて、声をかけてくれたのだろう。

「ありがとうございます」

つまんだマンゴーをひとかみした瞬間、甘酸っぱい味が口の中いっぱいに広がった。
マンゴーってこんなにうまかったっけ?

空沼岳の岩場の前で立ちすくみ、「ガス欠」だと悟ったとき、とっさに頭に浮かんだのが、あのドライマンゴーだった。いま、ドライマンゴーがあれば体が動くようになるかも知れない。Kさんにそれを伝えようとしたが、うまく言葉が出てこない。これはまずい。このまま意識がなくなるのかと考えると急に怖くなり、思わず唾を飲み込んだ。そのときかすかに、あの甘酸っぱい味がした。山荘で食べたドライマンゴーのかけらが口の中に残っていたのだ。年をとると色んなところが緩くなってくる。特に最近は歯ぐきが垂れ下がって、歯と歯の間の隙間が広がってきたのが気になっていた。焼き鳥などを食べる度に、歯に肉片がひっかかっていた。ドライマンゴーのかけらも、いつもの右奥歯のすき間にしっかりはさまっていたのだ。体は言うことを聞かないが、舌は動かすことができた。すきっ歯のマンゴー片を、舌をうまく使ってかき出す。そのまま奥歯でぎゅっとかみしめると、わずかに果汁がしみ出した。

甘い。

時間をかけてマンゴー片を味わうと、全身にエネルギーが行き渡ったような感覚に包まれた。動ける。

おそるおそる岩場に足をかけ、太ももに力を入れた。不思議なほど軽く体が持ち上がった。

すきっ歯に命を救われた。

このときほど、自分が生身の人間なんだと実感したことはなかった。空沼岳の頂上には青空が広がっていた。羊蹄山に恵庭岳、その奥には支笏湖の湖面もくっきりと望めた。

そんな大自然に囲まれながら、Kさんが用意してくれたガスバーナーでお湯を沸かし、コンビニで買ったカップラーメンとおにぎりを食べた。そのおいしさは、すきっ歯のマンゴーとともに一生忘れることができないだろう。「ガス欠」は、登山用語で「シャリバテ」と言うらしい。文字どおり「シャリ」つまりご飯が足りずにバテること。

ガイドブックによると、原因は極度の低血糖。
エネルギー不足だから、自らの意志とは関係なく、からだがいうことをきかなくなる。脳への供給量が減ると意識も低下する恐ろしい症状だ。回復には休息に加え糖質補給が有効とある。そのためにも行動食の持参は欠かせなかった。昔は「ヒダル神」という悪霊に憑かれたと考えられていたらしい。
なぜか職場にあった『日本妖怪大辞典』(水木しげる画)によると、「ヒダル神」は「これに憑かれると空腹感を覚え、身体の自由を奪われて動けなくなる。ひどい場合はそのまま死に至る」とある。さらに「こうしたときは僅かでも食べ物を口に入れると回復する」とも。山を甘く見てはいけないという教えが、いにしえから語り継がれてきたのだ。反省。

「ヒダル神」に憑かれたことをのぞけば、初めての空沼岳は最高だった。万計沢川沿いの登山道はまるで沢登り(したことはないが)。途中、幾度か小川を横断し、靴を泥だらけにしながらぬかるみの道を登る。踏みしめるのは、豊富な雪解け水を含んだ北海道の大地そのものだ。山荘から頂上までの間には真簾沼が広がり、山々の稜線の下にゆたかな水をたたえていた。

これが札幌市内というから驚きである。下山して登山口に戻ったときは、登り始めてから7時間たっていた。そのときの達成感は、全身の疲れや痛みをすべて吹き飛ばしてくれた。

ああ、素晴らしき空沼岳。

空沼岳.JPG

必ずリベンジしてやるから、待ってろよ。
帰宅して泥まみれの靴をはきかえ、真っ先に向かったのは近所のコンビニ。
買ったのはもちろん、ドライマンゴーだ。

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この記事を書いたのは

山崎 靖

元朝日新聞記者、キャリアコンサルタント、産業カウンセラー、温泉学会員、温泉ソムリエ

昭和40年生まれ
新潟県十日町市出身


コラム「新聞の片隅に」
https://www.asahi-afc.jp/features/index/shimbun

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