無意根山 山小屋での思い出 さっぽろ単身日記 

スマホを忘れるという大失態を演じたが、無意根山の自然がそんな不安を一時的に忘れさせてくれた。

 

登山者名簿が置かれている丸太小屋の屋根にはつららが垂れ下がってい。しばらく登ると大蛇(おろち)ケ原という名前の湿原に出た。昨晩に降った雪で一面が覆われている。

空沼岳もそうだったが、札幌の山々は豊かな水をたたえている。先日、再放送していた「ブラタモリ」札幌が200万都市になった理由の一つが豊富な湧き水だと言っていた。私たちがいま踏みしめている大地は札幌の命の源なのだ。

 

湿原には小さな小川が幾つも流れていて、ところどころにアルミ製の脚立が橋の代わりに渡されている。

 

まさか、ここを渡る

 

肥満児で運動音痴だった私は体操の授業が大嫌いだった中でも平均台は、見ただけで股間がムズムズする。あの細長い板の上に立ったとたんに両足が震え、数秒と体を保つことができなかった

 

湿原では、やじろべえのように体を揺らしながら、脚立の細い踏み台を一歩一歩進んで行く。最後は逃げるようにして何とか渡り切った。

 

登山口から時間。

湿原を抜けと、目の前に立派な山小屋が現れた。

北海道大学山スキー部が管理している「無意根尻小屋」だ。

昭和6(1931)年に建てられた由緒ある山小屋で、いまでも週末になると山スキー部の学生が交代で寝泊まりしている。

実は同行のKさんは山スキー部のOBで、無意根山には学生時代から数え切れないほど登っている。この日もKさんの後輩3人が私たちを出迎えてくれた。

 

小屋では貴重な薪で沢の水を沸かした紅茶をいただいた。温かい香りが冷えた体にしみ込む。

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学生たちは冬になるとスキーをはいたまま登り、滑り降りるという。そんな伝統が90年も続いているのだから驚きだ。自分のチャラチャラした学生時代と比較すると恥ずかしくなってくる。

 

小屋を出ると斜面が急にな森林限界を超えたのか、一面が背の低いハイマツの林に変わった。新雪をかぶったハイマツと霧氷の木々が一面に広がる。幻想的な光景だ。そのハイマツの固い枝を山スキー部の学生たちが伐採してくれたおかげで、登山道が歩きやすくなっている。

なんとありがたいことか

 

山頂が近づくと積雪が多くなる。足元はすっかり雪だ。さすがに登山靴が滑りはじめる。ここで持参していたチェーンスパイクを装着。これがなかったら、おそらく頂上まで行けなかっただろう。山登りは準備が9割、実感する

 

無意根尻小屋からさらに2時間、ハイマツと霧氷の雪原を抜けると山頂に到着した。さらに進むと眺望が開ける三角点に。銀世界向こうに羊蹄山の輪郭がはっきりと現れた

 

おおっ。

これが札幌第の高峰からの眺め

 

残念なのは、メガネがすぐに曇ってしまうこと。

レンズのコーティングがはがれたためで、新しいメガネを注文していたが、今回の登山には間に合わなかった。

せめて写真を、と胸ポケットに手を入れたが、いつもあるはずのスマホはもちろんなかった。

 

ああ、そうだった。

 

瞬間で現実に引き戻されてしまった

 

まあいいや。どっちみち電波が届かないんだから

 

例の「正常化バイアス」で自分をだましながら、落ち着かない気持ちのまま下山開始。

下りの雪道チェーンスパイクのおかげで滑りにくい。いつもの右膝もそれほど痛くない。これも準備していたサポーターの効果

行動食のチョコレートとアミノ酸サプリを口にしながら「ガス欠」になることもなく、頂上から時間ほどで登山口に戻ってきた。

 

登山の途中で振り返ったときの景色まだ目に焼き付いている。

ああ、素晴らしき無意根山。そして北大の学生たちに感謝

 

あとはスマホ

 

約10時間ぶりに帰宅すると、の真ん中にスマホが鎮座していた。

点滅しているということは、着信があったようだ

 

おそるおそる手にとって画面を見る。

 

着信履歴何十件あったらどうしよう。

そのときはそのときだ。

 

さあ、どうだ。

 

かった。

 

着信は1件だけだった

留守電にメッセージが吹き込まれている。

再生した。

 

「ご注文のメガネが仕上がりましたのでいつでもお越しください」

 

こういうときに限って何も起こらない、ということもある。

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この記事を書いたのは

山崎 靖

元朝日新聞記者、キャリアコンサルタント、産業カウンセラー、温泉学会員、温泉ソムリエ

昭和40年生まれ
新潟県十日町市出身


コラム「新聞の片隅に」
https://www.asahi-afc.jp/features/index/shimbun

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