札幌市民の雪まつりの思い出は「冷たいお尻」だった
前回の日記で、「札幌市民はさっぽろ雪まつりに行かない」問題について書きました。
https://sodane.hokkaido.jp/column/202301280637003027.html
これに対してたくさんの感想をいただきました。ありがとうございます。
中でも気になったのが、
「以前は真駒内駐屯地でやっていた。札幌市民がほとんどでしたよ」
「真駒内駐屯地での開催がなくなり、たまに通りすがりに大通の雪像を見るくらい」
といった声。
この「真駒内駐屯地」の雪まつりって、どんな雪まつりだったのでしょう。
調べてみました。
「さっぽろ雪まつりの歴史」というサイトによると、第14回(1963年)に「自衛隊真駒内駐屯地でスノーフェスティバルを開催」、その2年後の第16回(1965年)に「真駒内が第二会場に正式指定」とあります。そして、第56回(2005年)に「真駒内会場40年の歴史に幕」となっていました。
40年以上も続いていたのですね。
そもそも大通以外の会場があること自体、札幌に赴任するまで知りませんでした。
その「真駒内会場」は大通会場と何が違うのか。
サイトには「家族連れを中心に雪に触れ遊ぶ会場」とあります。
もう少し詳しく知りたかったので、朝日新聞の過去記事をめくってみました。
すると
雪まつり開幕の前日の夕刊に、ほぼ毎年のように真駒内会場の記事が載っていました。
見出しは
「一足お先に雪まつり歓声 高齢者・幼児らに開放」
なるほど。
雪まつりの期間中は混雑するので、子どもやお年寄り、体の不自由な人たちに開会前にゆっくり楽しんでもらおうと実行委員会が毎年招待していたようです。
記事には、子どもたちが氷のすべり台を勢いよく滑り降りる写真が添えられていました。
氷のすべり台の前には子供たちの長蛇の列ができた、ともあります。
これは楽しそう。
真駒内駐屯地が第2会場となった1965年は私の生まれた年です。もしも私が札幌の子どもだったら、大通会場よりも氷のすべり台のある真駒内会場に行きたがるだろうな。そんな想像をしてしまいました。
ではなぜ、市民に親しまれていた真駒内会場がなくなったのか。
記事には「北海道の自衛隊の縮小計画に伴い」とあります。
氷のすべり台は、自衛隊のみなさんの力作だったのですね。
真駒内会場に代わる「第2会場」探しは難航したようです。
当時の記事には、候補地として円山球場や中島公園の名前も出てきます。
結局、57回(2006年)の第2会場は「サッポロさとらんど」に決定し、60回(2009年)からは「つどーむ」に変更されました。残念ながら今年は「つどーむ」会場での開催が見送られています。
前出の「さっぽろ雪まつりの歴史」によると、第1回(1950年)には「市民の雪捨て場だった大通7丁目広場に市内の3高校、2中学の生徒らによる6基の雪像が展示された」とあります。この世界的なイベントは札幌市民の雪との触れ合いから生まれたのですね。
札幌市出身の作家、谷村志穂さんが真駒内会場での思い出をエッセーに綴っています。
雪まつりは、確かに見事なファンタジーだ。重くて冷たい雪で、あんなに大きな物を作り出し、すぐに壊してしまうのだから、きっとガウディだって、びっくりだ。
それでも子供の頃は、一番の憧れは、像ではなくて、滑り台だった。(中略)
私は大の大人になった今こそ、本当はお尻をひんやりさせて、あの冷たい滑り台を降りてみたい。
(2003年2月5日付朝日新聞夕刊)
札幌市民の雪まつりの思い出は「冷たいお尻」なのですね。
ちょっぴりうらやましい気持ちになりました。