パブが、パブであるために… 2度目のロックダウンで生き残りをかけた〝奇策〟
2020.12.03
ロックダウン(4カ月ぶり2度目)
まさか2度もロックダウンに見舞われるなんて誰も想像していなかった。いや、想像はしていたかもしれないが期待をしていた人なんて誰もいなかったはずだし、ほとんどの人が想定しうるそんな状況から目を背けていたに違いない。でもロックダウンが始まってみればこの1カ月、街には前回の時(3月下旬から7月上旬)のような悲壮感はなかったように感じる。政府による締め付けが前回ほどキツくなかったこともあるが、「まあ1カ月弱だし」という諦めもあったように思う。そして迎えた最終日、タクシーの運転手と弾んだのはもちろん「ロックダウン、緩和されるね」といった話題だ。こんなことができるようになる、アレはまだ制限があるね、といった話を一通りした後にお互いにため息をついた。「パブはやっぱり、今までとは違うね」。
変容を余儀なくされるパブ
11月5日から12月1日まで、約4週間にわたる2度目のロックダウンではパブも一定の条件下で営業が認められた。その条件というのが「事前注文による持ち帰り制」だ。客は家などからインターネットや電話であらかじめビールを注文しておき、その後に取りに行くというものだ。しかし、このスタイルに異を唱えた人がいた。ロンドン北部でパブ「The Red Lion and Sun」を経営するヒース・ボールさん(47)だ。
ボールさんが営むパブの歴史は古い。1600年代から400年近くにわたりロンドナーの憩いの場となってきた。産業革命で築き上げられていく資本主義の源流、帝国主義がもたらした「栄光ある孤立」、世界史の1ページ1ページをこのパブは見つめてきた。でも、そんな仰々しい言葉が並ぶ歴史の傍らに必ずいたのはビールを片手に一杯交わす名もない市民たちだった。パブの語源は「パブリック・ハウス」。つまり、〝みんなの家〟だ。誰もが気軽にフラッと立ち寄って一杯やれる場所こそがパブだった。しかし、そんな〝英国文化のあり方〟に感染対策という壁が立ちはだかった。
「スーパーにビールを買いに行くときに、『ビールをお願いします』なんて言って出かけるかい?飲みたいビールをただ買いに行くだけだろう。それと同じだよ」。ボールさんは、そんな言葉で事前注文制という政府のガイダンスに疑問を投げかけた。「そんなのはパブじゃない」と嘆き、本来のパブの姿を守りたいと訴えたのだ。本当にその通りだと思う。友人と飲み始める前に時間が余ればサクッと立ち寄り、なんとなく飲み足りなかったらフラっと寄る。そこでなきゃならない理由なんて、ほとんどない。パブは「あのビールを飲みに行こう」と、強く決心していくような場所ではないのだ。しかし11月中旬の英国は、感染者数が1日あたり2万人前後で増え続け、死者の数も1日に500人を超えるほどの深刻な状況が続いていた。規則に従わず営業をすれば、最大で1万ポンド(約140万円)の罰金が科される。そこで、ボールさんは奇策を思いつく。店の目の前に電話機を置いたのだ。
ルールを守って政府への抗議
10月下旬、ジョンソン首相はテレビ演説を通じて「Stay at Home」と呼びかけた。この言葉を聞くのはいつ以来だろうと、思わず苦笑いを浮かべてしまった。再び厳しい外出制限に突入するという紛れもない「ロックダウン宣言」だ。ボールさんは早速、動く。翌日には、ネット通販サイトで電話機を2台注文した。総工費は30ポンド(約4200円)、8メートルに及ぶ電話線も自分で敷いた。店の前にそのうちの1台を置き、もう1台は、そこから目と鼻の先に組み立てた仮設の小屋に。「店に来る前に注文する仕組み」を整えたのだ。たしかにこれなら、パブの前を通りかかって、なんとなく飲みたくなったら電話機をとって注文すればいい。いつものパブのごとく「1パイントのビールを」と頼めばすぐに持ち帰ることができる。政府によるガイダンスだって逸脱していない。ただ、この距離なら電話機を通さなくたってちょっと大きな声を出せば注文は通る。それでも僅かばかりの費用と手間をかけて、この環境を整えたのは「政府のバカげた考えに対する返答」だという。
この皮肉なシステムは反響を呼んだ。多いときで1日に150人から200人が注文するという。取材中も次から次へと客が来た。しかも、興味深そうに電話機をジロジロとみている。どうやらこの仕組みについては知らなさそうだ。近所に住んでいてたまたま通りかかったので頼んでみたという客もいた。その気軽さがパブだ。
危機に直面する「文化の象徴」
2度にわたるロックダウンなど様々な対策はいま、パブの灯を消そうとしている。業界団体の調査では全国で7割のパブが閉業の危機に直面しているという。道を歩けばどこにでもあって、トイレを借りがてら立ち寄って飲んで…私はロンドンに住み始めた当初、パブはまるで日本のコンビニのような存在だと感じた。そんな風にいうとちょっとチープかもしれないが、それくらい当たり前で、誰をも拒むことのない社交場が存亡の危機にある。ロックダウンが緩和されても、ロンドンを始めとした国内の多くの地域で「食事付き」でなければ営業を認められない。感染経路の追跡のために連絡先の記入も求められる。立ち飲みは許されず、テーブル会計。かつてのパブの姿とは程遠い。
英国では早ければ12月7日からワクチンの接種が開始されると伝えられている。高齢者や医療従事者、ケアホームの職員など感染リスクの高い人たちから優先的に接種されるという。でもきっと、ワクチンが救うのはそういった弱い立場の人たちだけではないだろう。何世紀にもわたって市民の傍にあり続けたこの国の「文化の象徴」を守り抜く救世主となることを願ってやまない。