函館市民に愛される「いか踊り」はどうやって生まれた?舞台は「宅飲み」の席!?

♪いか刺し・塩辛・いかそうめん、もひとつおまけに
いかぽっぽ!

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函館市民なら誰でも踊れるほど親しまれている「いか踊り」

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一体、いつどのように誕生したのか、みなさんは知っていますか?

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訪ねたのはおよそ1万人が参加する「いか踊り」の運営を行う実行委員会です。

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実に全員がボランティア。祭りが近づくと有休をとって山車などの準備を行っています。

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実行委員会のメンバー吉川平八郎さん(77)。
実はこの吉川さんがいか踊りの発案者なんです。

時は1980年。スナックの店で飲んでいた吉川さんたち。すると「函館の祭りを変えよう」という話になったということです。そのときに「踊りとなればイカしかない」と吉川さんたちはまとまりました。

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さらに後日、吉川さんたちが「宅飲み」をしていた時にあの踊りが誕生しました。そう、いか踊りはいわば”お酒のノリ”で完成したんです!

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最初は仲間内だけで踊っていたいか踊りを、広く市民に普及させたもう1人の立役者がいます。

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8年前、62歳の若さで亡くなった高橋徹さんです。

音楽活動をしていた高橋さんは当初、歌詞と踊りだけだった「いか踊り」を作曲し、レコードを発売したのです。

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レコードができて、小学校・幼稚園・保育園から「いか踊りを踊りたい」と依頼が来るようになりました。

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覚えやすい振付と歌詞に、髙橋さんが作った曲が合わさって、瞬く間に市民に浸透し函館の夏の風物詩となったのです。

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この記事を書いたのは

SODANE編集部

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