函館市民に愛される「いか踊り」はどうやって生まれた?舞台は「宅飲み」の席!?
2024.08.05
#ソウルフード♪いか刺し・塩辛・いかそうめん、もひとつおまけに
いかぽっぽ!
函館市民なら誰でも踊れるほど親しまれている「いか踊り」
一体、いつどのように誕生したのか、みなさんは知っていますか?
訪ねたのはおよそ1万人が参加する「いか踊り」の運営を行う実行委員会です。
実に全員がボランティア。祭りが近づくと有休をとって山車などの準備を行っています。
実行委員会のメンバー吉川平八郎さん(77)。
実はこの吉川さんがいか踊りの発案者なんです。
時は1980年。スナックの店で飲んでいた吉川さんたち。すると「函館の祭りを変えよう」という話になったということです。そのときに「踊りとなればイカしかない」と吉川さんたちはまとまりました。
さらに後日、吉川さんたちが「宅飲み」をしていた時にあの踊りが誕生しました。そう、いか踊りはいわば”お酒のノリ”で完成したんです!
最初は仲間内だけで踊っていたいか踊りを、広く市民に普及させたもう1人の立役者がいます。
8年前、62歳の若さで亡くなった高橋徹さんです。
音楽活動をしていた高橋さんは当初、歌詞と踊りだけだった「いか踊り」を作曲し、レコードを発売したのです。
レコードができて、小学校・幼稚園・保育園から「いか踊りを踊りたい」と依頼が来るようになりました。
覚えやすい振付と歌詞に、髙橋さんが作った曲が合わさって、瞬く間に市民に浸透し函館の夏の風物詩となったのです。
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