検査・告知・手術・仕事復帰・・・誰かのお役に立てればと綴ります。
気が付けば、告知から2年になろうとしています。常に様々な選択肢が増えていて、治療もアップデートされている乳がん。
去年の4月にBRCAの遺伝子検査が保険適用になりました。
(以前の私が受けたときの記事はこちら https://sodane.hokkaido.jp/column/202008041058000291.html)
保険適用前は自費診療。高額で受けられないと思っていた方も受ける、というジャッジができるようになってきています。
今回お話を聞いたヒロササさん、40歳。
(前半のお話はこちら https://sodane.hokkaido.jp/column/202105081930000929.html)
2年前に乳がんと診断。そのときは遺伝子検査は自費診療でした。
保険適用後の昨年秋に検査、今年3月、遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HBOC)との診断を受け、健側の乳房と卵巣・卵管を切除する、リスク低減手術を受けています。
ヒロササさん『トリプルネガティブ乳がんと診断され、手術する前にも 腫瘍内科の先生に私、遺伝性乳がんじゃないですか?
と相談してたんですよね。去年、保険適応になったら、検査どうぞ、という方向に向くようになったような気がします。』
この遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HBOC)知らない方も多いですし、検査が選択肢としてあることもまだ広がっていない印象があります。この診断を受けたとしても必ず発症するわけではありません。
(詳しくは・・・日本HBOCコンソーシアム 患者さん・一般の方向け http://hboc.jp/public/)
ヒロササさんはTwitterなどのSNSでHBOCと診断された、と公表されています。検査そのものやカウンセリングの大切さやそれにまつわる選択肢や正しいデータなども、まだまだ理解が広がっていないと感じています。検査を受けようと思ったときのことを振り返ります。
ヒロササさん『私の場合、知ると落ち着くんですけど、逆に知ると怖くなる人 いらっしゃると思うから、人によると思うのですが、選択肢として知ることは大事だと思っていて。
選択して治療に向かうのと知らないで通り過ぎるのとはちょっとやっぱり違うと思うのです。自分の病気だから自分で知っておきたい、何から何まで、検査を受けたいっていう気持ちがとても強かったですね。』
しかし、コロナ禍でのリスク低減手術のための入院は想像以上に神経を使ってしまったと話します。
当初受ける予定だったのは今年1月、コロナの患者さんも受け入れている大学病院でした。不安に思ったことから転院。がんの専門病院で3月に手術を終えました。
2人のお子さんのママであるヒロササさん。現在、5歳と3歳です。
ヒロササさん『告知の時は下の子は1歳になりたてぐらいで、ベビーカーを押してました。旦那さんと来てくださいって言われたのでこれはもうクロだな、と。
上の子はもう幼稚園だったのですが、下の子は1歳だったから、預けるところもなくて、一緒に連れて告知を聞きに行きました。
”ボクはこっちで待ってよーね”って看護師さんが泣く次男を抱っこしてくれて、
別の部屋で主人と二人で告知を受けたという感じでした。』
いざ告知、と言われたときに子どもを預ける場所もなく、パニックに。途方に暮れたといいます。
下の子はまだまだ理解できる年齢ではないものの 上のお子さんははっきり理解してくれているそうです。
実家は北海道。親戚などもいないことから人に預けることができず、病院行く時は全員一緒に車で向かいます。
『私は車の運転ができないんです。主人が車を運転して子供達も一緒に乗っていくような感じなのでもうなんか病院が お出かけの一環みたいな感じ。』
『本当になんか 主人には感謝で、親とか身近にいないので主人がいないと大変なことになってたと思います。今年のリスク低減手術のときは休みを取って2人の子どもをみてくれていました。』
いざというときに頼れる旦那さんに感謝の気持ちを忘れません。
ただ、札幌出身のヒロササさん、心の奥底で願っているのは”札幌に帰りたい”。子育てしながらの治療。いざというときに頼れる場所が必要だと話します。
地域の子育て広場などで会った方に本来ない業務の中、長男を預かってもらったこともあるそうです。これは運がよかっただけだといい、子育てをしながら、治療真っ只中の方もおもんぱかります。
『通常のときでも、通院で子供を預けなきゃいけないと大変だと思うんですけども
(感染症対策もしなくてはいけない)コロナ禍で一層大変さが身にしみて 。
本当にその時間だけ預かってくださるような場所とか。個人的には病院の横に小さな託児所あればいいのになって。』
乳がんの放射線治療の場合、およそ1か月間、毎日、短時間の照射のために毎日病院に通うことになります。でも毎日、預けなくてはいけない。預ける時間はちょっとだけ、でいいのです。
『もう本当に30分とか1時間足らずなのに、幼稚園とかもしっかり通ってる子供ですら心配なのに、 赤ちゃんで抱えながら治療されてる方もいらっしゃるし、なんでわかってもらえないのかなとかって。ママ全体に対するフォローが足りていない。』
二人で話したのは、がん患者さんも含めた社会全体の人に対して、何かしらの事情がある時に利用ができるように環境が整えば全員が嬉しいのではないかということ。
ヒロササさんは検索をして、シッターサポートプログラムを持つNPOを探し当てて、お子さんの預けるための支援金も受け取りました。
いろんな人たちの色々な思いに少しずつ助けられてどうにかここまで来た、と振り返ります。
一方で、ずっと下がりっぱなしだった、というココロの問題。
がん患者さんを主に見ている心療内科で心のバランスも取り戻しつつあります。ヒロササさんから見るとおじいちゃん先生。出会った心療内科の先生に気づかされることが多いと話します。
『自分の主治医に話せないことは僕自身をゴミ箱だと思って 投げ捨てるように
話に来なさい、って。』
そのカウンセリングともただの雑談ともいえる会話の中に”名言”が多く励まされているといいます。こうした最初から頼れる治療のこともわかっている心療内科の制度が整うことも大事なことだといえます。
そして、ヒロササさんの何物にも代えがたい励みは同病の方が元気な発信をしていることなんだそうです。
『普通に生きて、生活できているということを発信すれば、受け取った人がどうやってもショックを受けることは間違いないけれど、ちょっと復活が早くなるのではないかと。自分は、同病の元気な人を見れてないときはガクンとなる。次の誰かのために
やっぱり発信していくことはとっても大切だなって。』
がんになった瞬間に頼れる人、頼れる場所。必要な情報・・・残念ながらまだ足りていません。
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